今年は夏祭りができた。
去年はできなかった。その前の年も、さらにその前の年も、夏祭りができなかった。つまり今年の夏祭りは3年のブランクを乗り越えて行われた。
3年間、日本全体がコロナに喘いだ。いや、全世界が喘いだ。その中で去年の夏、東京オリンピック(東京でオリンピックが行われるのは二度目)が強行された。が、夏祭りは見送った。地元の大きな神社が大祭行列を見送った影響が大きい。それよりも何よりもコロナ蔓延の勢いを抑えることができなかったことが遥かに大きい。コロナがこんなに世の中を騒がしているのに夏祭りでもなかろう、という雰囲気が強かった。
夏祭り直前になってコロナでダウンした子がいた。その子はずっと子供しゃぎりの練習に打ち込んできた。しかし、その子は本番のステージに立つことができなかった。あれだけ練習してきたのに。それがかわいそうでならない。
親御さんの落胆は計り知れない。それ以上に、本人がいちばん悔しがっているのではないだろうか。今まで全魂をそこにぶつけてきたんだから。
【きょうの一枚】地元高校生による和太鼓の演奏。
この地区の夏祭りのメインを飾るのは、地元高校郷土芸能部による和太鼓の演奏。地の底から湧き上がるように響く太鼓の生音に魅了された。しゃぎりの練習前後に鬼ごっこをしていた子供たちも、今日ばかりはお兄ちゃんお姉ちゃんの晴れやかな姿に憧れの目を向けていたようだった。
外からの演奏はこの一本に絞った。かつては大道芸の方々にも声をかけた由だが、今回はかけなかった。来賓の市会議員さんも呼ばなかった。大掛かりにやるよりは、地元で催す小さな祭りを尊重した。これが、これからの祭りの新しい形だと思う。
【書】「疑義」ギギ(No.1,510)
「①うたがわしい意味。意味不明のところ。②[国]疑問。疑問点。」(『旺文社漢字典第二班』)
「疑」は、人が杖をつき、あちこち見回して、どちらに行こうか迷っているさま。
「義」は、羊と、音を表す我(ガ。ギは変化した音。きわだつ意→峨)とで、折り目正しく美しい意、転じて、よい、正しいみちの意を表す。
【ディジタル画】『彼岸過迄』須永の話十二(No.950)
恐ろしい事を知らない千代子。恐ろしい事を知っている須永。
こういう二人が夫婦になってもうまく行かないことを須永は察している。そうして、二人がどうしても一緒になれない運命にあることを、千代子も薄々気づいている。
【昭和の風景】230
「蒲原」色付け。
雪景色に色を付けた。
と言っても、色を付けたのは人物だけだけど。
どよんとした雪空が不気味。しんしんと静かに雪が降り積もる峠の宿場をイメージした。
この雪は粉雪ではない。牡丹雪だ。蒲原に降る雪は、どうしたって湿って重い牡丹雪でなければいけない。それは番傘を窄めて峠道を下る旅人の姿からも想像できる。粉雪舞い散る本場の雪国の人は、そんなことはしない。
【タイムラプス】8月6日(日)7:04〜10:06の伊豆長岡の空。23秒。