いずぃなり

伊豆でのシニアライフ

伝統を語るも先ずは缶麦酒(あ)

 カミさんから電話が入った。白内障の手術を終えたところだという。

 カミさんの誕生日は米国の独立記念日と同じ。七〇まで働いて、七〇を過ぎたら伊豆で年金生活をすると言っていた。

 その七〇が過ぎた。七〇を過ぎたからそっちへ行くと言ってくるかと思いきや、電話は、目の手術を終えたが健康保険証が効かなくて治療費が高額になったという苦情だった。ついては新しい保険証が必要だから、届いたら捨てないで保管しておいてくれという。

 カミさん宛に届いた郵便物は捨てないで一通残らずとっておく。だから捨てるはずがない。今さら何を言ってるんだか。それを言うとすったもんだうるさいから言わない。

 いずれにせよ、近いうちに一緒に暮らすことになる。一緒に暮らせば互いに嫌なところも目に付く。

 生まれが違えば育った環境も違う男と女だ。そういう二人が一緒に暮らすんだもの、あちこち歪みも出てくるわなあ。

 いちばん嫌なのはこれまでのペースを乱されること。今まで自分の好きなようにやっていたことがそうならなくなる。結婚したての頃はそんなことは露も考えなかった。互いに違う面を持っていることが逆に新鮮だった。

 もうじき齢七〇のそいつがやって来る。果たしてストレスを感じないこれまでの生活を維持できるだろうか。何が心配って、それが心配。

 

【きょうの一枚】積まれた缶ビールの箱。

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 役員会の仕事の大変さを慮って、篤志家が缶ビールを差し入れてくれた。ケース8箱も。日曜の区内清掃の朝である。

 夏祭り頑張れという意味だろうと解釈し、夏祭りに関わる皆さんでありがたくいただくことにした。ごっつぁんです。祭りにはアルコールが付き物だからね。これで暑気払いさせてもらうわ。

 

 【書】「道中」ドウチュウ(No.1,479)

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「①往来のなか。道の中。②旅行の途中。」(『旺文社漢字典第2版』)

「道」は、辶と、音を表す首(シュ・シュウ。トウは変化した音。長くのびる意→条)とで、長く通じている「みち」の意、ひいて、みちびく、また、すじみちの意を表す。

「中」は、もののまん中をたて棒で貫いたさまで、「なか」の意を表す。転じて「あたる」意に用いる。

 

【ディジタル画】『彼岸過迄』報告 三(No.919)

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 敬太郎は田口に黒子の男を探偵した報告を話す。

 「宜御座んす、夫で。——夫から何うしました。女が停留所で待ち合はしてゐる所へ男が来て」。田口は真面目に事件の経過を聞かうとした。

 若い女の正体、未だ知れず。

 一体どういう女なんだろう。謎は深まるばかり。 

 

【昭和の風景】199

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「日本橋」。

 東海道江戸の出発点。歌川広重の浮世絵を参照した。

 今回はモノクロの輪郭だけ。色をつける作業は次回の楽しみにとっておこう。

 それにしても、大名行列あり、天秤棒の物売りあり、犬あやす丁稚小僧あり、大道芸衆あり、読本に耽る町人あり、物見女ありの大した賑わいだ。江戸というところは、何だか雑多な文化が混沌と融合する街だったんだねえ。そこに三越本店があった。

 

【タイムラプス】7/6(木)5:42〜8:40の伊豆長岡の空。22秒。

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