しゃぎりの練習が始まった。
子供たちに伝統の音色を継承させるべく、まずは大人がお手本を見せようという心意気で「しゃぎり保存会」が集った。なのだが、新型コロナが収束をみない段階で果たしてどこまで教え込ませることができるか。それが課題。
地区の夏祭りは一昨年、昨年と2年連続行われていない。しかし今年は、周囲を見渡しても、軒並み夏祭りが復活する兆しがある。狩野川に打ち上げられる花火も例年通り行われる運びとなった。
ならば、我が地区の夏祭りだってやらないわけにはいかないでしょう。右へ倣えではないけれど、うちだけやらないというのでは肩身が狭い。いや、子供たちがよ。
鉦、笛、太鼓、ピーヒャララ。ガガシコ太鼓ドカスカドン。
あの腸(はらわた)から湧き上がる祭りの響きを是非復活させたい。私の思いはそれに尽きる。
時代が変わったというなら、その変わった時代とともに、新しい祭りのあり方を模索していこう。それが私の心意気。
【きょうの一枚】庭のイロハモミジ。
サルスベリ(百日紅)の真下に自生する。種はおそらく北隣の庭木から運ばれてきたものと思われる。
カミさんが好きで、前のオーナーが植えた「手向山」には見向きもしないが、このイロハモミジにだけは好印象を持っている。モミジといえば赤ちゃんの手のひらのような葉っぱが真っ赤に色づくというイメージが焼き付けられているのかもしれない。
それはそれでいいのだが、問題は、イロハモミジの自生する場所がサルスベリの真下ということである。
以前に一度、庭にイロハモミジを見つけて、それを真っ赤なモミジに育てるべく鉢に移植したことがあるが、その目論みは見事に失敗した。幹を太らせることなく枯らしてしまった。
それで今回は、移植せずにそのままその場所で成長を見守ることにしたのだが、なにせ、真上にサルスベリが控えているものだから、うまく育ったにしてもサルスベリとイロハモミジを共存させるわけにはいかない。どちらか一方を見捨てなければいけない。そのときどっちを捨てるか。これが悩ましい。
私としてはサルスベリをそのまま生かしたいが、カミさんはイロハモミジを選ぶかもしれないな。
【書】「受命」じゅめい(No.1,068)
「①天命を受けて天子となる。②命令を受ける。③教えを受ける。」(『旺文社漢字典』第2版)
「受」は、うけわたしする上下の手と、音を表す舟(しゅう。冖は変化した形。うけとる意→収)とで、ものをうけわたしする意、転じて「うける」意を表す。
「命」は、令(れい。「めい」は変化した音。いいつける意)に口を増し加えて、この世を支配する天の命令の意を表す。ひいて、この世の定め、人の「いのち」の意に用いる。
【ディジタル画】『三四郎』 69(No.508)
与次郎が、居候している広田先生宅へ帰ってきた。原口さんという画工(ゑかき)を連れている。
「夫にしても与次郎は交際家だ。大抵な先輩とはみんな知合になつてゐるから豪いと感心して硬くなつた」
与次郎という人は、きっとフットワークがいいのに違いない。こういう人が学友にいると、何かと心強い。
手っ取り早く画を描きたいときは、どうしてもProcreateに頼ってしまう。それでいいんだという思いもあれば、これではいけないという思いもある。どうしたもんじゃろのう。
【タイムラプス】5月21日( 土)6:02〜8:01の伊豆長岡の空。29秒。
https://www.facebook.com/1298610339/posts/10228436456478653/?d=n
【新型コロナ】5/21(土)10:00現在(Yahoo!より)
新規感染者数→37,438(前週同曜日比 −2,205)
重症者数→106(前日比 −4)
累計死亡者数→30,259(前日比 +44)