いずぃなり

伊豆でのシニアライフ

手作りの花器彩つて夏の花(あ)

【きょうの一枚】手作り花器に挿した生花。

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 きょうは某委員会主催の花器作り講習会。手作りの花器はペットボトルでこしらえた。

講師の先生が用意してくださった化粧紙でペットボトルを包み、キラキラリボンで口を結ぶ。と、あら不思議。ペットボトルとは思えないような立派な花器に変身する。

 作りたての花器に、これも講師の先生が用意してくださった生花を挿す。市長室の花もこうして生けたものだとか。魔法ですね。たったこれだけで殺風景な執務室が見違えるように華やぐんだからたまげる(「たまげる」は淡谷のり子さんが好んで使った津軽弁で、「驚く」くらいの意。いっときCMで「大したたまげた」という言い方が流行ったけど、あれ、いい味が出てて好きだったなあ。てか、それほど流行らなかったか)。

 ペットボトルの花器は全部で二本作った。もう一本は、裸のペットボトルにポスカで好きな絵を描いた。描いているうちに鰯がいつの間にか鯨になったり金魚が金目鯛になったりするところもあったが、それはそれでなかなか愉快なひと時だった。

 私は昇り龍を描いた。巡回していた講師の先生からは「不思議な絵ですね」との評をいただいたが、たぶん、とても龍には見えなかったのでしょう。うまい言い方をしますね。不思議な絵、か。私も「実は龍なんです」とは言わなかった。言ったところで詮ないことだし。

 ま、いいさ。絵なんて何を描いたか自分がわかっていればいいんだよ。絵は、世の価値観にはめ込まないで、いろんな解釈ができるところが面白いんだと思うよ。写真じゃないんだし。

 

【書】「嗇用」ショクヨウ(No.1,463)

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「使い惜しみする。」(『旺文社漢字典第2版』)

「嗇」は、穀物を取り入れる意を表す。嗇は省略形。穡の原字。転じて、出しおしみする意に用いる。

「用」は、盛り土をつき固めて土べいなどをきずくとき、両がわから当てて土くずれを防ぐ細長い板の間にくいを打ち込んださまで、突き通す意。ひいて、通じる意。転じて「もちいる」意に用いる。全体とひとまとめにして象形とする見方もある。

「用」の成り立ちは、解釈がむずかしい。

 

【ディジタル画】『彼岸過迄』停留所 二十三(No.903)

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 敬太郎の下宿先玄関の傘立てに森本の洋杖(ステッキ)が挿してある。

 森本は敬太郎の学友で、今は大連にいる(はず)。その森本が置いていった洋杖と森本のことが敬太郎の頭から離れない。

 浅草の占い師の婆さんが言っていた「自分の様な他人の様な」とは、この洋杖のことだったのかと、敬太郎は言われたことを思い返して合点する。

 

【昭和の風景】183

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 古い昔話の「カチカチ山」。色塗り第16弾。

 狸は兎の操る土舟で、ともに鼬(いたち)のところへ向かう。鼬のところへ行くのは、背中に火傷を負った狸の治療のため。火傷には鼬の糞を塗りつけるのがいいという。兎がそう言ったのだったが、兎は端から狸を騙そうとしていたのだった。

 兎もなかなか手の込んだ嘘をいう。

 ここで兎の髪型が月代(さかやき)に丁髷(ちょんまげ)という武士の出立であることに気づいた。腰に太刀を佩いた格好といい、もともと兎は武士として描かれていたということがこれで判る。

 

【タイムラプス】6/20(火)5:45〜8:22の伊豆長岡の空。39秒。

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