公民館前の花壇整備の手伝いをしようと思って出かけたが、途中でマスクをし忘れたのに気づいた。なんかやけに口もとが涼しいなと思ったらマスクをしていなかった。
家に戻ろうとしたら、近所の人が軽自動車にゴミ袋を大量に積んでいた。訊くとこれからゴミ処理センターまでゴミを運ぶのだという。その方の親御さんは体が不自由なご高齢で、こうして不要になったものを、息子の自分がせっせとゴミ処理センターまで運んでいるとおっしゃっていた。その方はかつて区長を経験された方だった。お年は80を超えたあたりだろうか。それでもこうして車をガンガン運転している。運転免許返上なんてどこ吹く風の話で、この地域はやはり車がないと生活できない場所らしい。
ここで「老老介護」ということばが、ふと頭をよぎった。
老老介護とは、介護する側と介護される側のどちらもが高齢者である状況のことをいう。介護する側も高齢であるため、介護疲れによって介護する側も倒れてしまう「共倒れ」のリスクが高い。
「老老介護」とは、介護者と被介護者が共に65歳以上のカップルのことをいう。75歳を超えている場合は「超老老介護」という。うちも「超老老介護」と呼ばれる年齢まで5年を切った。
そうか、あと5年もすれば超老老介護呼ばわりされる身になるのか。共倒れする前になんとかしなくちゃ。なんとかするったって、答えは見えてるんだけどね。
【きょうの一枚】公民館裏の空き地。
夏祭り当日、ここへ、修善寺の高校から和太鼓演奏に来てくれるトラックを駐車しておくことにした。
ここは、以前はもっと広く、櫓を囲んで盆踊りができるくらいのスペースがあった。が、今は建物が建ち、敷地はだいぶ狭くなった。
これも時代の波で仕方がない。地域のコミュニケーションよりも人間の居住環境が最優先される。
【書】「照臨」ショウリン(No.1,461)
「①日月が天上から照らすこと。②君主が民の上に立って天下を治める。君臨。③貴人がおいでになる。賁臨。光臨。光来。④神仏がご覧になる。」(『旺文社漢字典第2版』)
「照」は、灬(火)と昭(あきらかな意)とで、火でてらし出す意、ひいて「てらす」意を表す。
「臨」は、うつむいて見る意を示す臥と品(品物)とで、うつむいて品物を見る意を表す。ひいて「のぞむ」意に用いる。
【ディジタル画】『彼岸過迄』停留所 二十一(No.901)
敬太郎は穏やかな冬の日を愉快に過ごした。そうこうして四日ばかり経ったある日、田口から電話が入った。頼み事ができたが委細は速達手紙に書いたからそれを見てくれという。で、その日にその速達が届いた。
頼み事というのは、ある人物の行動を探偵して報知しろという内容だった。
その人物の特徴は「黒の中折に霜降の外套を着て、顔の面長い脊の高い、痩せぎすの紳士で、眉と眉の間に大きな黒子がある」と詳しい。
それをもとに人物を描いてみた。まるで、画像をメディアに表せない裁判被告の特徴をイメージするような感じだった。
【昭和の風景】181
古い昔話の「カチカチ山」。色塗り第14弾。
線も塗りもかなり雑になってきた。
でも、こういう荒削りな絵の方が変化に富んで、妙に落ち着いた絵よりいいかもしれない。まあ、好みの問題ですけどね。
【タイムラプス】6/18(日)6:31〜8:19の伊豆長岡の空。26秒。