市長の似顔絵を描いた。似てない。もう一度描く。やっぱり似てない。
次回の広報紙に載せようと思ったが、これじゃ載せられない。結局四度描いた。それで、なんとか載せられそうな絵になってくれた。
地元を歩いていると、「広報の絵、素敵ですね。毎回楽しみにしてます」と声をかけられる。それが励みとなって、よしまた頑張るぞという気になる。
見てくれる人はちゃんと見てくれてるんだ。ありがたいねえ。
私は、iPadにConcepts6.0をインストールし、Apple Pencilを使って絵を描いている。それを用途に応じてフォルダに保存し、必要なときに取り出して文書に貼り付けている。だから、電気さえ使えればいつでもどこでも絵を描ける環境にある。
iPadと Pencilさえあれば、カンバスも絵筆も絵の具も要らない。電気を通すだけでペイントライフを楽しめる。ディジタル画はとってもリーズナブルで手間要らず。そこが気に入っている。
毎日何かしら描いている。描きたいことが次から次へ湧いてくるから、次は何を描こうかなどと考えたことがない。
それで今、困ったことが起きている。寝ても覚めても頭の中で何を描こうかと考えているから、優先しなければいけない仕事が滞りがちになるのだ。どうしても意識がそっちへ回っていかない。
描く時間はたかだか2時間くらいだから大したことはないが、それをするのに必要な回路のようなものを構築するのにやたら時間を取られる。
要するに、ぼ〜っとしている時間がやたら長い。それが側から見ると、何やってんだあいつ、ということになる。それが、甚だよろしくない。
【きょうの一枚】ネム(合歓)の花。
夕飯の買い出しに坂を下る。その途中に合歓の花が咲いていた。
合歓の花は紅刷毛のようで美しい。今頃の夕暮れ近くに咲き、夜間は閉じて眠るので、この名があるという。
【書】「嗣音」シオン・シイン(No.1,459)
「①音信を続ける。一説に、音楽を習う。②よい音を受け継ぐ。転じて、りっぱな徳や事業を受け継ぐ。」(『旺文社漢字典第2版』)
「嗣」は、冊(あんだ竹札)と司(シ。おさめる意)とで、竹札をまとめつなぐ意。ひいて「つぐ」意を表す。のち、さらに口を加えた字。
「音」は、もと、言(ことば)と同じ。のち、これと区別して、言の口の中に含むものを示す一点を入れた形で、ことばにならない声、節をつけた音声などの「ね」を表、ひいて広く、「おと」の意に用いる。
【ディジタル画】『彼岸過迄』停留所 十九(No.899)
敬太郎は占い師の老婆に尋ねる。「何(ど)うすれば好(い)いんですか」。
老婆は答える。「何うすればって、占なひには陰陽の理で大きな形が現はれる丈だから、実地は各自が其場に臨んだ時、其大きな形に合はして考へる外ありませんが、まあ斯うです。あなたは自分の様な又他人の様な、長い様な短かい様な、出る様な又這入る様なものを持つて居らつしやるから、今度事件が起つたら、第一にそれを忘れないやうになさい。左様すれば旨く行きます」。
よく判らない。なんだか煙に巻かれたような気がしないでもない。それが占いというものなのか。
敬太郎は店を出る時に、七色唐辛子を二袋買って袂へ入れた。
【昭和の風景】179
古い昔話の「カチカチ山」。色塗り第12弾。
狸は兎が刈った萱を束ねるのを手伝う。狸もなかなかいいところがあるじゃん。
【タイムラプス】6/16(金)7:51〜11:19の伊豆長岡の空。25秒。