大磯の孫娘からLINEが入った。
「八ツ橋を京都から送るね」
孫娘の修学旅行の土産に「八ツ橋」を所望してあった。それがカミさん経由で孫娘に伝わった。
土産代を本人に渡してないけど、カミさん、渡してくれたかな。
修学旅行か。そうか、もう中3になるんだね。
来年の4月はもう高校生か。早。どこの高校へ行くんだろ? ま、どこだっていいや。本人が生きたいと思ってるところがあったらそこへ行けばいい。それがいちばん。
絵をやりたければ、絵を教えてくれる先生がいるところがいい。が、ことはそう簡単ではない。最近の先生は異動が頻繁だから、当てにしていた先生が、行ってみたら他所の学校へ転勤になっていたという例はザラにある。
追いかけるか? そうもいかないだろう。先生は簡単に異動できるけど生徒はそうはいかない。もう一度受け直すというのはほぼ無理に等しい。
だったら自分で道を切り開くしかない。自分のやりたいことが定まっているなら、ひたすらそこにエネルギーを注ぎ込めばいい。最終的に決めるのは自分なんだから。自分の人生は自分で切り開く。そういうスピリットがものを言う。だから、高校なんてどこだっていい。自分のやりたいことがとことんやれる環境を整えてくれるところならどこだっていい。そう思うよ。
【きょうの一枚】庭のキョウチクトウ(夾竹桃)。
根・葉・茎・花など、樹木全体に毒性を持つと知ってからあまり近づかなくなった。口に含むなどすると、吐き気、嘔吐、下痢、めまい、腹痛などを起こすという。怖、やっぱ近づかないようにすべえ。花はきれいなんだけどなあ。
【書】「敬弔」ケイチョウ(No.1,454)
「死者をつつしんでとむらう。」(『旺文社漢字典第2版』)
「敬」は、もと苟(キョク。ケイは変化した音。いましめる意)に攵(攴)を加えて、いましめる意。ひいて「つつしむ」意、転じて「うやまう」意に用いる。
「弔」は、もと、人にへびが巻きついたさまという。転じて、いたみあわれむ、「とむらう」意に用いる。
【ディジタル画】『彼岸過迄』停留所 十四(No.894)
敬太郎は、「今日迄何一つ自分の力で先へ突き抜けたといふ自覚を有つてゐなかつた」が、「生まれてから只た一つ行ける所迄行つたのは、大学を卒業した位なもの」だった。そんな敬太郎が、ある日、有楽座に足を運ぶ。
その有楽座。銀座・数寄屋橋にある。全集注解には「明治41(1908)年12月1日に開場した」とあって、漱石も芝居を見にしばしば通った由。開場翌年の11月には、小山内薫の自由劇場がイプセン『ジョン・ガブリエル・ボルクマン』を上演したという。
【昭和の風景】174
古い昔話の「カチカチ山」。色塗り第7弾。
鍋汁の中身は狸ではなくお婆さんの骨肉だった。それを知って嘆くお爺さん。お爺さんは狸に騙されてお婆さんを食ってしまったのだった。
古い昔話は、かくも残酷であったか。
【タイムラプス】6/11(日)6:25〜9:34の韮山方面の雨空。23秒。