朝から冷たい雨が降った。
雨が降ると外出ができない。できなくはないが、濡れると干して乾かさないといけないし、長靴に履き替えるのが面倒だし、傘をさす分荷物が増えるし、それで、雨が降ると大抵家に籠もる。
籠もって何をするかというと、特別何をするでもない。ダラダラ過ごす。
孫どもがここを出て行った後は、彼らが使っていた勉強道具とかがわんさか残った。捨てるに捨てられない思い出の品々も壁に残った。
それを整理整頓するのに雨は絶好の機会だと思うが、思うだけで何もしない。何もしないうちに一日が過ぎ、気がつけば晩酌をして寝る時間になっている。
孫どもがいなくなって寂しくなったかというと、正直言って寂しくなった。
一緒に住んでいる頃は、なんで一緒に住まなければいけないんだと、そうなった運命を恨んだりもしたが、いなくなるとやはり寂しいもんだ。
なんで寂しいと思うんだろうか。
どうしたって世話を焼かないといけない存在が身近にあって、その世話を焼く人がいなくなると、人は寂しさを感じるのらしい。
これまでは、自分の好き勝手ができることが自分にとっての最高の幸せだと思っていた。だけど、どうやらそうでもないらしい。自分のためではなく誰かのために何かができること、自分でなければできないこと、そう思うときがいちばんの幸せを感じるときなのかもしれない。
人間って、所詮誰かの世話をしていないと生きられない生き物のようです。
【きょうの一枚】庭のサンジャクアヤメ(三尺菖蒲)。
(あれれ、画像が横になってる。でも直し方が判らない)
二本並んで咲きました。右側が先に生まれたお兄さんで、左が弟といった感じでしょうか。お兄さんの方が先に咲いた分やや色褪せているように見えます。先に咲いて後から弟が咲くのを待っていた、そんな感じで健気に寄り添って咲いています。
【書】「裕福」ユウフク(No.1,425)
「[国]資産があって、生活がゆたかなさま。」(『旺文社漢字典第2版』)
「裕」は、衣と、音を表す谷(コク。ユは変化した音。ゆとりのある意→容)とで、衣服にゆとりがある意、ひいて「ゆたか」の意を表す。
「福(福)」は、示と畐(フク。酒つぼ)とで、神にそなえためでたい酒のおさがりの意、ひいて「さいわい」の意を表す。
【ディジタル画】『門』二十二の一(No.865)
宗助が家に戻った。「彼の顔は自から蒼かつた。出る前よりも多少面窶れてゐた」。
留守を預かっていた御米は宗助に銭湯をすすめる。「貴方は余まり爺々臭いわ。後生だから一休したら御湯に行つて頭を刈つて髭を剃つて来て頂戴」。言われた宗助は手拭と石鹸を持って外へ出た。
「其晩は又御米と小六から代る代る鎌倉のことを根掘り葉掘り問はれた」宗助は、やはり学友の安井の消息が気になる様子。
【昭和の風景】147
龍第7弾。
龍は飽きない。描くたびに表情を変える。
【タイムラプス】5/13(土)6:59〜9:12の韮山方面の雨空。28秒。