いずぃなり

伊豆でのシニアライフ

虫飛んで椿開くを促せり(あ)

【今日の一枚】庭の赤い椿。

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 玄関先の庭には右に赤い椿、左に白い椿が一本ずつ並んで植わってある。
 花を咲かせる順番は赤が先でその後の白が続く。だから、河東碧梧桐の句「赤い椿白い椿と落ちにけりという順序は正しい。
 白い椿は固い蕾を枝にびっしりつけていて、今か今かと咲くのを待っている。
 かたや赤い方は今を盛りと咲いているが数はそんなに多くない。花弁もふくよかじゃないから、薮椿じゃないかと思っているがどうだろう。それでも蜜は甘いらしく小鳥も多く通ってきて目を楽しませてくれる。 


【書】「閉居」ヘイキョ(No.1,331)

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 「家にとじこもる。蟄居。」(『旺文社漢字典』第2版)
 「閉」は、門と才(もと、川をせきとめる木材の意)とで、木材で門をとざす意、ひいて「とじる」意を表す。
 「居」は、尸(しり=尻)と、音を表す古(コ。キョは変化した音。よる意→拠)とで、尻を落ち着けて動かない意、ひいて「いる」意を表す。


【ディジタル画】『門』 三の一(No.771)

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 宗助と小六は手拭いを下げて銭湯から帰って来た。
 公衆浴場が混浴でなくなったのは明治中頃というから、宗助と小六が湯屋に行ったときはすでに混浴は廃止されていた。
 家に内風呂がなかった時代、私は隣の温泉町までバスで湯に浸かりに行っていた。温泉町にあった中学校まで通う定期券を持っていた。
 温泉町には「◯◯の湯」という看板が林立していたが、そのことごとくは混浴だった。脱衣所が別なだけで、湯殿はたいてい一つ。湯殿が男女別々になっていたのはたった一軒だけだった。
 小さい時からそういう環境に馴染んでいたから、男女が同じ湯殿を使うことに何の抵抗もなかった。むしろそれが当然だと思っていた。


【昭和の風景】54

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 りんご箱。
 昔の青森の実家は、玄関が北側にあった。北側に国道4号線が走っていたからである。国道4号線と並行して家の裏を東北本線が走りその向こうに田畑が広がっていた。
 私がまだ小学生だった頃は2箇所に畑を持っていて、家から遠い方の畑でりんごを育てていた。収穫したりんごはりんご箱に収められ家の納屋まで運ばれた。納屋は玄関と反対側、つまり南側にあった。
 納屋に放置されていたりんご箱を横に寝かして文机代わりに使ったのはその頃である。
 机は手に入ったけど、そこで勉強した記憶はない。りんご箱の板はささくれてざらざらしていたし、反ったりしていて、とてもじゃないけどそこで読み書きする気など起きなかった。引き出しも何もないけど自分だけの机が手に入ったという、ただそれだけで有頂天になっていた。


【タイムラプス】2月8日(水)6:05〜8:19の伊豆長岡の空。33秒。

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【新型コロナ】2/8(水)23:55現在(Yahoo!より)
<国内>
新規感染者数→41,250(前週同曜日比 −13,756)
累計感染者数→32,865,648
死亡者数→70,239(前日比 +220)
<静岡県>
新規感染者数→2,024(前週同曜日比 −577)