いずぃなり

伊豆でのシニアライフ

やかましの教へ子集ひ青木の実(あ)

【今日の一枚】庭のアオキの実。

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 赤く色づいてきました。いよいよ待ちに待った春、です。


【書】「野趣」ヤシュ(No.1,339)

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 「山野のおもむき。素朴な情趣。野情。」(『旺文社漢字典』第2版)
 「野」は、田畑の意の里と、音を表す予(ヨ。ヤは変化した音。ゆるやかの意→徐)とで、ゆるやかに広がる田野の意。
 「趣」は、走と、音を表す取(シュ。せかせる意→促)とで、急ぎせかして走らせる意。転じて「おもむく」意に用いる。


【ディジタル画】『門』 四の六(No.779)

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 宗助と御米は夜汽車で新橋へ着いた。
 それを叔父夫婦と小六が迎えた。
 叔母が宗助に言う。
 「おや宗さん、少時(しばらく)御目に掛ゝらないうちに、大変御老けなすつた事」。
  このとき初めて御米は叔父夫婦に紹介される。
 「これが彼(あの)……」。


【昭和の風景】62

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 馬房の清掃作業。
 請われて北海道の牧場の手伝いに行った。牧場は平取という日高アイヌ文化が色濃く残っている町にあった。
 あれは大学在籍5年目の夏だったか。
 親父に連れられて羅臼まで行き、相泊(あいどまり)というところにある番屋に世話になった。その名のとおり道はそこまでしかなく、その先は知床半島の突端まで道はない。ヒグマにとっては自然豊かな楽園だったかもしれないが、人間にはとても住めそうにない秘境だった。親父はそこへ鮭漁の雇われ船頭として出稼ぎに行っていた。
 私が親父に連れられて行ったのは、親方さんの娘さんと私を引き合わせる魂胆があったようだった。首尾よくいけばそこに移り住み羅臼の発展に寄与していたかもしれない。しかし、そうはならなかった。
 その後私は羅臼を離れ平取町にある牧場に移った。そこの馬を祀る神社で「かけまくもかしこく」働いていた学友の多忙を少しでも和らげてやろうと、その手伝いに向かったのである。
 学友は大学サッカー部の同期で、「赤き血のイレブン」のモデルが活躍した浦和の高校出身だった。ポジションはバック。上背はさほどでもなかったが、ヘディングやキックには定評があった。
 その彼が大学を卒業して神主の資格を得、なぜか北海道に就職することになった。風の便りに多忙な毎日を過ごしていると聞き、私でよければと北海道までのこのこ手伝いに出かけたのであった。
 いずれ神奈川の教員採用試験を受けようと思っていた私は、そこで数多くの得難い体験をすることになる。
 これからこの紙面を借りてその体験を語っていくつもり。でも、プロローグだけでこんなに長くなってしまった。ああ、先が思いやられます。


【タイムラプス】2月16日(木)6:03〜8:11の伊豆長岡の空。31秒。

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【新型コロナ】2/16(木)23:55現在(Yahoo!より)
<国内>
新規感染者数→21,263(前週同曜日比 −11,532)
累計感染者数→33,058,666
死亡者数→71,481(前日比 +135)
<静岡県>
新規感染者数→900(前週同曜日比 −593)