きょうも図書館に通って『狩野川台風手記』を書き写す。
きょうの手記には、ほぼ全滅した地区の方の息子さんが濁流に流されて沼津港の漁船に助けられたという話が載っていた。
その話を書き写しながら、狩野川資料館で見た、人が浮き沈みしながら流されているのを吠えて地元漁師に知らせた忠犬のパネルを思い出した。
手記の書き写しはまだまだ始まったばかりだ。これからも身につまされる話がどんどん掘り起こされていくだろう。
『手記』に寄稿された方は、あの惨事は二度と思い出したくないと口々に言う。でも、誰かが語り継いでいかなければいけないことだ。多くの人が広く知らなければいけないことだと思う。そのことを今一度肝に銘じ、私の余生の務めとしたい。
【今日の一枚】薪の調達。
たまたま筋向かいの空き地奥に切り捨てられた木があって、そこから薪になりそうなのをせっせと庭まで運んでいる。
一年以上放ったらかしにしてあるから十分乾いていると思うが、明二日の天気は雨の予報なので、薪にして玄関外に積んであったのを中に入れておくことにした。
ピザバス屋さんには残り半分の薪を年が明けたら運んでくれるように頼んであるが、電話口で奥さんが「主人に伝えておきます」と言ったきりで、その後うんともすんとも言ってこない。
それで繋ぎの薪を自前で用意することにした。が、それもそろそろストックがなくなってきた。
ストーブのなかった昔の人は、どうやって寒さを凌いでいたのだろう。たとえば平安貴族の女性など。ひたすら重ね着をしていたのだろうか。それがいまだに不思議。いまだに解けない謎です。
【書】「船子」センシ(No.1,304)
「ふなこ。ふなのり。水夫。船頭。船人。船夫。」(『旺文社漢字典』第2版)
「船」は、舟と音を表す㕣(エン。センは変化した音。そう意→沿)とで、流れに沿って行く舟の意、ひいて広く「ふね」の意を表す。
「子」は、頭が大きい幼児の形にかたどり、乳幼児の意。ひいて、若者の意を表す。借りて、十二支の第一の意に用いる。
【ディジタル画】『それから』 十四の九(No.744)
代助と三千代の兄は親友で、三千代が兄と一緒に東京に住んでから代助と兄はますます親しくなった。
「三人は……(中略)……巴の如くに回転しつゝ、月から月へと進んで行つた。有意識か無意識か、巴の輪は回るに従つて次第に狭まつて来た。遂に三巴が一所に寄つて、丸い円にならうとする少し前の所で、忽然其一つが欠けた(兄が死んだ)ため、残る二つは均衡を失なつた」。
兄が亡くなってから五年が経った。二人は、三千代の兄が生きていた頃の学生時代を語り始める。
【昭和の風景】28
半農半漁の貧しい寒村には内風呂を持っている家はそんなに多くなかった。隣町に出湯があったから、たいていの家はそれを利用していた。たまに遊びに行った家に内風呂があったりすると、それを羨ましく思ったりしたものだ。
でも、今思えば、お湯を温める薪の量も半端なかったろうな。結局、内風呂を持たないで温泉を利用した方が安上がりだったかもしれない。
(昭和32年)
【タイムラプス】1月12日(木)6:52〜9:03の伊豆長岡の空。32秒。
【新型コロナ】1/12(木)23:55現在(Yahoo!より)
<国内>
新規感染者数→183,211(前週同曜日比 −47,832)
累計感染者数→31,055,159
死亡者数→61,839(前日比 +483)
<静岡県>
新規感染者数→9,189(前週同曜日比 +3,099)