いずぃなり

伊豆でのシニアライフ

衝立で部屋真二つに山眠る(あ)

 二十四節気の「大雪」(今年は12/7)が過ぎてからすっかり冬らしくなった気がする。
 このところの寒波で、薪がどんどん減っていく。それがなんとも心細い。なんだこれじゃ孫がいた時と変わらないじゃないか、というくらい積んだ薪の丈が低くなっていく。いかん、どこか公共施設に潜り込んで温ぬくしなければ。
 それでも、雪が降らないだけまだまし。雪国青森に比べれば、雪の降らない伊豆は天国みたいなものだ。
 雪が積もる青森で暮らしていたときは、雪の降らない土地に住みたいとどれだけ思ったことか。それが今できているんだから文句は言えない。文句を言ったらバチが当たる。
 親父は生前、私によく言ったものだ。「雪の降るとこに戻ってくる必要はない。雪のないところで暮らせたらそれがいちばんいい」。
 私はそれを今も愚直に守っている。
 幸い私は次男坊だから家を継がなくて済む。長兄には申し訳ないが、それがいたって気楽。どこで暮らそうがお前は好きなようにしていいという親父のお墨付きをもらったようなものだ。
 そういう思惑も手伝って、こうして私は雪の降らない伊豆を終の住処と定めた。それも人生。


【今日の一枚】衝立。

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 2階にあった籐の衝立を階下に降ろしてきた。
 この衝立は前のオーナーから譲り受けたもの。その時カミさんは「要らない」と言ったが、私はいずれどこかで使うかもしれないと思って譲り受けることにした。が、カミさんの言った通り、実際には使う場面はそんなになかった。というか、ぜひ必要だという場面はまるでなく、どちらかといったらひたすら邪魔な存在だった。
 邪魔の最たるもので、これまで2階のフロアに寝かされた状態になっていた。立ってなんぼの衝立なのに、寝かされたら衝立の役目をなさない。それじゃあまりに可哀想だと、パソコンコーナーと薪ストーブを仕切るのに使うことにした。
 私は面白い空間ができたと一人悦に入るが、これもいずれカミさんが来たら、どこかに追いやられちゃうんだろうな。


【書】「寅月」インゲツ(No.1,269)

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 「陰暦正月の別名。」(『旺文社漢字典』第2版)
 「寅」は、両手で矢をまっすぐにのばしているさまで、まっすぐな矢、伸びる意を表す。借りて、十二支の第三の意に用いる。
 「月」は、日月を対照してその特徴に着目し、常に円い「日」に対して、満ち欠けする月の欠けた形にかたどる。


【ディジタル画】『それから』 十の五(No.709)

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 三千代は代助宅を訪れるのに白百合の花を買って来た。
 「此花は何うしたんです。買て来たんですか」と訊く代助。三千代は黙つて首肯(うなづ)いた。
 そうして花の香を嗅ぐ三千代に、「さう傍で嗅いぢや不可(いけ)ない」と言ってのけぞる。
 すると三千代は、突然、「あなた、何時から此花が御嫌になつたの」と妙な質問をする。
 代助からすれば「妙」かもしれないが、三千代からすればちっとも「妙」じゃない。
 三千代は、兄が生きている昔、兄を訪ねた代助が三千代の用意した花瓶に買ってきた白百合を活けたことを覚えていたのである。だから、代助が喜ぶと思って、雨の中、三千代は白百合を買って来たのだった。


【タイムラプス】12月8日(木)6:11〜8:31の伊豆長岡の空。35秒。

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【新型コロナ】12/8(木)23:55現在(Yahoo!より)
<国内>
新規感染者数→132,984(前週同曜日比 +15,211)
累計感染者数→25,713,356
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<静岡県>
新規感染者数→3,595(前週同曜日比 +559)