賀状書きは今年も諦めました。
ハガキが買えないんです。せめて年賀ハガキ百枚買えるだけの年金を支給してくれ。それだったら日本郵政に協力してやってもいいぞ。
パソコンやケータイのなかった時代は賀状で元気な様子を知らせ合ったりしたけど、考えてみれば、今はケータイがあるから、あえて賀状の交換をしなくてもいいのかなと思ったりもする。まあ、これも賀状を書かない自己弁護に過ぎませんけど。
とまれ、これだけケータイが普及すれば、パソコンや賀状の役目もジ・エンドでしょう。お疲れ様でした。
これからは何をするにもケータイの時代です。お財布を持たなくても買い物はできちゃうし、銀行振込もケータイで済んじゃう。履歴が残るから次回から口座番号とか名義とかを入力しなくていいし、わざわざ銀行に行く必要はない。カメラ機能だってデジカメに引けを取らないほど性能がアップしている。
ラジオも聴けるしテレビも見られる。マイナンバーカードが紐付けされたから、早晩病院の診察だってケータイをかざすだけで済むようになるでしょう。
ケータイはどこまでも進化し続けます。この勢いはどうにも止まりません。物事が急激に発展・変革することを革命と言うなら、これはもう「ケータイ革命」と呼んでもいいんじゃないかな。それほどケータイは我々の日常生活の中に浸透してきています。
【今日の一枚】レジ袋にくるまれた左足。
浴室を清掃するのに包帯を巻いた足指が濡れてはいけないと患部にレジ袋をかぶせた。浴槽に体を沈めるときはレジ袋をほどいて、左足を浴槽の上に置いて温まった。
家はどこもかしこも老人介護仕様になっていて、いたるところに手すりがある。トイレにも浴室にも階段にもある。最初はそれを邪魔だと思ったりしたが、いずれ使う時が来るからというカミさんの予言を尊重してそのまま据え付けておいた。幸か不幸か、それが今は重宝している。
いずれ使うときというのは、年を取って足腰が弱った状態を想定していたが、こういう足の怪我でも、あれば重宝するものです。
【書】「区処(處)」クショ(No.1,278)
「①分類して処理する。②根拠地。住まい。かくれが。」(『旺文社漢字典』第2版)
「区」は、品物を区切り分けるさまで、くわけする意を表す。
「処(處)」は、几(腰かけ)と夂(足をおく意)とで、足をとめて腰かけている意、ひいて「おる」意を表す。「處」は会意形声で、処に
虍(コ。ショは変化した音。おる意→居)を加えたもの。
【ディジタル画】『それから』 十一の八(No.718)
代助は嫂と姪を連れて歌舞伎座に行ったが、遅れてきた兄に枡席で佐川の娘を紹介された。何のことはない、そこは兄と嫂の仕組んだ見合いの場だったのである。
が、代助の頭は三千代のことで一杯。帰りの電車の中で代助は、家に帰ったらウヰスキーの力を借りる覚悟を決める。
【昭和の風景】2
(昭和18年)
きのう(12/16)から昭和の懐かしい風景(静岡バージョン)を描き溜める作業を始めました。結構楽しみながら描いてます。
私は昭和28年の生まれだから、いわゆる戦前戦中の風景の記憶はない。だけど、どの写真を見てもどことなく国難を乗り越えた後の活気が響いてくるような気がして、私を懐かしい時代へといざないます。
家の前は東京と青森を結ぶ国道4号線が走っていた。舗装は当時アスファルトではなく砂利の多いコンクリートだった。そこへ寝そべって昼寝をしていたら、腹の上を荷馬車が通り過ぎた(ような気がした)。なぜかそんな記憶がある。でもそれは記憶ではなく勝手に描いた幻想だったかもしれない。
記憶でも幻想でもいい。どっちでもいいけど、とにかく、そういったのどかで大らかだった時代の風景をディジタル画にとどめておきたいと思った。
【タイムラプス】12月17日(土)6:37〜8:30の伊豆長岡の空。28秒。
【新型コロナ】12/17(土)23:55現在(Yahoo!より)
<国内>
新規感染者数→158,808(前週同曜日比 +22,564)
累計感染者数→27,005,994
死亡者数→53,366(前日比 +233)
<静岡県>
新規感染者数→4,044(前週同曜日比 +903)