いずぃなり

伊豆でのシニアライフ

釜飯の鍋を焦がして年の暮(あ)

孫の世話3日目。

午前中は、孫たちの冬休みの宿題である書き初めに付き合う。といっても、お手本を書いてやっただけだが。

孫娘は筆と墨汁と半切を家から持ってきていたが、お兄ちゃんの方は書き初めの道具を用意してない。どころか、どんな字を書くのかも知らないという体たらく。ゲーム機はしっかり持ってきているくせして、書き初めなどはなからやる気なし満点の確信犯だな。

ともかく、何を書くのか友だちに教えてもらえと言ったら、ゲーム機につないだマイク付きイヤホンで訊いていた。どうやらネットゲームの対戦相手は同級生らしい。

マイク付きイヤホンは百均で買ったやつ。しかも百均だからすぐダメになるかもしれないと同じのを2つ買った。百均のはダメだからちゃんとした電気屋で買うという発想はないらしい。安かろう悪かろうでも、手っ取り早く手に入ればいいということか。

それにしても、ゲームをしながら宿題を確かめるなんて、ある意味すごい時代になったものだと思う。親の世代の預かり知らぬところで、子どもたちはしっかりネットを活用し、情報交換をしているということだ。

こうなると、学校も意識改革をしていかなければいけない。アクティブラーニングが声高に叫ばれて久しいが、子どもたちを取り巻く世界にこれだけネットワークが浸透しているとなれば、学校教育もそれに合わさざるを得ないのは時代の趨勢である。

時代は変わった。今は電子黒板の時代である。チョーク黒板に慣れ親しんだ私としては、ここでも「老兵はただ消え去るのみ」と呟くしかない。

孫の世話に追われて賀状を書けないでいる。これはやはり年明けになりそうだ。と思っていたら、今日の「天声人語」に、前島密のことが載っていた。いわく、「多事多忙につき心外ながら音信を欠いた(略)年賀の手紙も遅れ、謝罪申し上げる」と。明治9年の1月11日付。

切手やハガキという呼称を定めた郵便制度の父の年賀状出し遅れに励まされ、ならば私もと賀状を年明けに出すことにした。

 

【今日の一枚】炊飯土鍋(2合炊き)で鳥釜飯を作っているところ。

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炊飯土鍋のデビューです。鳥釜飯の具はレトルトで、いつか作ろうと思って買い置きしていたもの。水分の量が、炊飯土鍋の取説と鳥釜飯のレシピと違っていて判断に困ったが、研いだ米に釜飯の具を入れて水を加えるときに、中蓋を被せる線を越えないギリギリのところを分量の判断基準にした。

そうして炊き上がったご飯は、それでもやや緩かった。もう30ccほど水の分量を減らしたら、おこげができるくらいに程よく炊き上がったかもしれない。

それにしても、今はご飯を炊くのは炊飯ジャー任せになっているが、その昔は、釜で炊いたときはコメの量だって水の量だって目分量で判断したのだろうから、その経験の知恵、というか勘は大したものだと思う。コンピュータがはじき出すデータばかりに頼っちゃいけませんね。

 

【書】「毎」マイ・いそしむ・つねに(No.343)

▼甲骨文

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▼金文

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象形。髪を結い髪飾りをつけた女の形。金文では「いそしむ」の意味に用いる。毎と又(ゆう)とを組み合わせた形の敏は、髪飾りに手(又)をそえ、髪飾りを整えて祭事にいそしむことをいう。「つねに、そのおりごとに」の意味に用いるのは音を借りる仮借(かしゃ)の用法である。<『常用字解』より>

 

【タイムラプス】12月30日(月)6:00〜8:02の伊豆長岡の空。30秒。

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