新年度の仕事の準備をしていたら、かかりつけの病院から電話が入った。
「そろそろ薬が切れる頃だと思ってお電話しました」。
看護師さんが丁重に告げる。
てえことは、過去のカルテを棚から引っ張り出して、そろそろあの人の薬が切れる頃だと読んでるってことだな。
電話で名乗った名前は前回と違う看護師さんだったから、主治医が複数の看護師さんに手当たり次第に声をかけているのかもしれない。
開業医は左うちわで黙ってても客が集まるとばかり思っていたが、昨今はそうでもないらしい。こうして余計なお世話の電話を入れなくては客が集まらないようだ。患者を多く囲い込まなくては経営も苦しいのか。薬局に稼ぎを持っていかれるから開業医も昔のようにウハウハ儲からなくなっているんだろう。
金は天下の回りものというけど、私のところへ回ってきた試しがない。一体どこをどう回ってるんだろう。
生まれる時も医者に頼り、死ぬ時もまた医者頼みになる。人の一生を考えた時、我々は生まれてから死ぬまで、どうしたって医者とは切っても切れない関係になる。だから、医者はあちこちで引っ張りだこのように思うけど、実際はそうでもないらしい。
何をするにも、金、金、金。金のためにあくせく働くような、そんな世の中になってしまった。ああ、一度でいいから金に困らない生活を送ってみたい。
金に困らない生活って、一体どんな生活なんだろう。想像もつかない。
想像もつかないから想像するのをやめた。やめてゴロンとふて寝する。
【きょうの一枚】カップ麺の数々。
安藤百福さんとこのカップ麺。よく行くスーパーで安売りしてたから(1個100円)まとめ買いした。
カップ麺もたまに食うならいいけど、こう毎日だとさすがに飽きる。
このことを病院の主治医が知ったら、何と言うだろう。
きっと、そんな食生活やめなさいと言うだろうな。
でもやめないよ。命を繋ぐのに欠かせない貴重な炭水化物だもの。
食うのがこれしかなかったら、きっとみんなも食うんじゃないかな。毎日炊き出しの避難生活をしてると思えばいい。
非常食だよ、一人暮らしの非常食。それがカップ麺なのさ。
【書】「邊(辺)」ヘン・あたり(No.1,722)
辶(道)と〓(ヘン。邊から「辶」のパーツを取り除いた形。鼻の両わきの意)とで、道の「ほとり」の意を表す。常用漢字は俗字による。(『旺文社漢字典第2版』ディジタル版)
【ディジタル画】『坊つちやん』その81(No.1,162)
坊つちやんが松山の中学を辞めて東京に戻り、街鉄の技手になった。月給が二十五円で家賃が六円。月給の約1/4を家賃に持っていかれる格好だ。坊つちやんは別にいいとして、坊つちやんと憧れの暮らしを始めた清はそれで満足していたんだろうか。
【昭和の風景】『東海道中膝栗毛』(No.442)
明治の錦絵。
「奉加帳」を手に持つボサボサ頭の鈍坊主。
「奉加帳」とは、勧進に応じて奉加する金品の目録や寄進者の氏名を記入する帳面のこと。『大辞泉』(ディジタル版)に当たったらそうあった。
【タイムラプス】令和6年3月25日(月)8:25〜10:26の韮山方面の雨空。30秒。
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