いずぃなり

伊豆でのシニアライフ

ほとばしる思ひ出ばかりふきのたう(あ)

 夕方、気づいたらペンシルを持って何か絵を描いている。

 夜が訪れる時間帯で、外が暗くなって、あれもうそんな時間かと腰を上げることが多い。

 そんなに絵が好きだったっけ。

 自分ではそうは思わないけど、気がつけばペンを持っている。ということは、根っから絵を描くのが好きなんだろうな。

 時間が経つのも忘れて何かにのめり込めるものがあるなんて、なんて羨ましい。人からよくそう言われる。

 この年になって、人になんと言われようが気にせず取り組めるものがあるというのは確かに幸せかもしれない。

 でも、それって、今更言ったって聞く耳持たないという諦めの気持ちも含まれる。

 何を言っても言うことを聞かないんだから好きにさせておくがいい。

 年を取れば頑固になるというのは、そういうことだ。

 そう、年寄りは頑固なのだ。やがてこの世からいなくなるんだから、いるうち好きなことをさせてやれ。

 これまで長いこと、やりたいことをやらずに我慢してきたんだから、それくらい目をつぶったっていい。

 

【きょうの一枚】ふきのとう。

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 津軽の方言で「ばっけ」という。

 津軽だけで話される話言葉かと思ったら違った。広く東北で流布される言い方という。

 が、津軽にいる頃は、そのまんまを生で食った記憶がない。「ばっけ味噌」としてなら食ったかもしれない。

 津軽には「津軽◯◯味噌」という味噌があった。味噌料理には大抵これを使った。味噌汁しかり。「ばっけ」のような苦味はなく、どちらかといったら甘みがあり、味噌といえば津軽ではこの味噌が定番だった。

 しかし、方言には独特の味わいがあるなあ。土着の匂いというのかな。活字では到底表現し得ない。

 いずれにしてもそこに腰を据えた者でなければ味わえない味だ。

 

【書】「覇」ハ・はたがしら(No.1,721)

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 月と、音を表す〓(ハク。覇から「月」のパーツを取り除いた形。しろい意→白)とで、新月の白いひかりの意を表す。借りて「はたがしら」の意に用いる。常用漢字は雨が覀に変化した俗字による。(『旺文社漢字典第2版』ディジタル版)

 

【ディジタル画】『坊つちやん』その80(No.1,161)

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 山嵐が師範学校の生徒と中学生が起こした喧嘩に加担し、顔面を負傷した図。

 翌日の新聞に取り上げられたことで、その喧嘩の責任を取る形で中学を辞職する。ついでに喧嘩に巻き込まれた坊つちやんも校長に辞表を出す。それは、二人を煙たい存在として見ていた赤シャツの仕組んだ罠だった。

 歌姫・中島みゆきは歌う。♪いつもいつも立ち去る者だけが美しい 残されて戸惑う者たちは 追いかけて こがれて 泣き狂う♪

 騒動の尻拭いをする者たちの気持ちを代弁した歌で、そういう機微に細やかな中島みゆきの心の向きどころにいつもうなされる。すごい人だなと思う。

 坊つちやんは、騒動そのものに心躍らせるが、山嵐は騒動の顚末の尻拭いまでちゃんと心得ていた。これまたすごい人だと思う。

 

【昭和の風景】『東海道中膝栗毛』(No.441)

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 明治の錦絵。

 老体に鞭打ってでも主君のために汗を流す。如何なる時でも主君の命運に己が命を預ける。こういう重鎮がそばにいるだけでも主君としては心強いことこの上ない。

 

【タイムラプス】令和6年3月24日(日)6:56〜7:45の伊豆長岡の空。23秒。

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