万城目学著『八月の御所グラウンド』。
今回、河崎秋子著『ともぐい』と並んで直木賞を受賞した。
前回は直木賞選考委員の京極夏彦さんの選評を紹介した。
今日は浅田次郎さんと桐野夏生さん、それと三浦しをんさん。
浅田次郎……万城目学氏はいつの時代のどこの国にも用意されている作家だと思う。怪談奇談の類とは言えず、固苦しい哲学も寓話性もなく、さりとて読めばまことに面白いから多くの読者がある。本書についても、「十二月都大路上下(カケ)る」と表題作の「八月の御所グラウンド」はどこかで話がつながると思いきや、他人のまま終わってしまう。それでもなぜか不満は残らず、これも作者の歪みのうちかと思わせるのは、すでにベテランの芸域と言えよう。
桐野夏生……『八月の御所グラウンド』は、二作とも京都が舞台の、いい具合に肩から力が抜ける面白い読み物だ。最初の「十二月の都大路上下ル」は、「坂東」という名の主人公の綽名が、「サカトゥー」という点など、いかにも女子高生的で話に引き込まれる。駅伝やマラソン中継でよく見る並走する観客から、こんな突飛な発想が生まれるのかと感心した。逆に、『八月の御所グラウンド』は、野球をテーマにした青春小説の趣がある。確かに八月の暑いグラウンドでは、鮮やかな白日夢が起きそうだ。だから、むしろリアルで、悲しく感じられた。
もう一人、三浦しをんさん。
三浦しをん……『八月の御所グラウンド』も、ベクトルはちがえど自由すぎる小説だ。最初は頭の片隅で、「一話目と二話目のつながりが弱く、一冊全体の構成としてはややいびつか?」などと考えて読んでいたが、そのうち、「そんな細かいこと、どうでもいい!」という気持ちになった。うだつのあがらぬ面々の日常と、テンポよく楽しい会話。そこへふいに混入してくる幽霊(らしき存在)。登場人物たちの眼差しが過去へと向けられる瞬間、小説の力によって、私も幽霊(らしき存在)の声と思いをまざまざと聞いた気がした。独特の飄々としたユーモアに満ちた小説だが、いまの時代について、実は極めて自覚的に、真剣に考え抜いて書かれた小説なのではないかと感じる。
【きょうの一枚】チューリップの葉。
いつ植えたんだっけ。職場から球根をいただいてきて、それを孫娘と一緒に屈んで植えた。
さすがにもう花は咲かない。こうして葉っぱだけ土から顔を出している。
その孫娘も4月から高校生。念願の高校に合格して、4月からそこに通うことになった。
落ちたらどうしようかと思っていたけど、きょう受かったという知らせを受けた。
素直に嬉しい。
でも、これからだな。これから自分で選んだ道を自分の足で一歩一歩歩いていくんだな。
花は咲かなくてもいいよ。葉っぱだけ元気な顔を見せてくれるだけでいい。
これからどうなるか。遠い伊豆の里から見守っていくとしよう。
【書】「觴」ショウ・さかづき(No.1,696)
角と、音を表す〓(ショウ。傷から亻のパーツを取り除いた形)とから成る。(『旺文社漢字典第二版』ディジタル版)
【ディジタル画】『坊つちやん』その55(No.1,136)
うらなり(古賀)先生が延岡に転任することになりその送別会が行われた。その宴会場の床間の懸物に貫名海屋の書があった。が、坊つちやんの目にはその字が「どうも下手なもの」に映る。坊つちやんの眼識だと海屋の字も下手な部類に属するらしい。
書の善悪の鑑定がおぼつかない坊つちやんが、同席した漢学の先生に尋ねたら幕末三筆の一人で海屋の書だと教えてくれた。
私の見た感じでも上手いと思うけど、どうも坊つちやんには下手な字に見えるらしい。では坊つちやんは、どういう字を上手いと思っているんだろう。
【昭和の風景】『東海道中膝栗毛』(No.416)
明治の錦絵。西行。
直立不動で見る目には、何が映し捉えられているんでしょうか。
【タイムラプス】令和6年2月28日(水)6:25〜9:04の伊豆長岡の空。39秒。
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