いずぃなり

伊豆でのシニアライフ

庭持てる身も春天に誘はれて(あ)

 階段を降りていたら、段を踏み外して転げ落ちた。

 タイムラプスの撮影を終えて、2階から降りてくるところだった。

 孫娘が、かつて「漢字が落ちてきた(壁に吊るした掛け軸が落ちてきたの意)」と言った掛け軸の下である。

 大したことはないと高をくくっていたら、湯船に浸かった時に肩が疼いた。バイクでこけた時の古傷を痛めたらしい。

 何やってんだかなあ。最近、こんなことばっか。

 70を越えた人をつかまえて、何やってんだかなあとつぶやく私も70を越えた。人をあれこれ言ってる場合ではない。知らないうちに自分がそうなってる。

 

【きょうの一枚】春めく庭。

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 写真を撮ろうと庭に降りてみた。

 そちこちの枝に黄緑の新芽が見える。春だなあ。どこを写真に収めようか迷う。

 ♪春になれば しがまっこ溶けて 泥鰌っこだの鮒っこだの 夜が明けたと 思うべな♪

 たいがいの歌詞は「しがま」を「しがこ」と称しているが、森繁久彌は「しがま」と歌った。私も「しがま」のほうが馴染む。生まれ育った土地ではそう呼んでいたから。

 「しがまっこ」が溶けたらどうなるか。「春がきたな」とばかり思っていたら違った。実際の歌詞は「夜が明けた」だった。その方が「暗がりから抜け出してやっと明るくなった」という雰囲気が出る。

   故郷津軽の畦道は、まだもっこりと雪におおわれてるんだべなあ。

 「夜が明けた」という感覚は、雪国で冬を越した人でなければ判らない味わいがあります。

 

【書】「轉(転)」テン・ころがる(No.1,703)

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 車と、音を表す專(テン。センは変化した音。まわる意→旋)とで、車のくるくるまわる意、ひいて、「めぐる」「ころがす」意を表す。常用漢字は俗字による。(『旺文社漢字典第二版』ディジタル版) 

 

【ディジタル画】『坊つちやん』その62(No.1,143)

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 『坊つちやん』に、「樗蒲一」という言い方が出てくる。

 「樗蒲一」と書いて「ちょぼいち」と読む。

 全集注解には、「中国伝来の賭博の一つ」とあるが、それだけではいまいちピンとこない。全集注解には続いてこうある。「歌舞伎『恋慕相撲春顔触』には『喧嘩をしてなぐられるなど、そんなちょぼ一はありゃしねえ』とある」。う〜ん、やっぱりよく判らない。

 

【昭和の風景】『東海道中膝栗毛』(No.423)

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 明治の錦絵。

 「走馬灯」という言い方は、思い出を語る時の定番のように使われたりするが、どこか使い古しの黴臭い言い回しのような気がして好きになれない。

 ただ同じ乗り物がぐるぐるまわるだけの遊園地のメリーゴーランドも苦手だった。あんな高い金出して乗ってどこが面白いんだろうと思っていた。

 

【タイムラプス】令和6年3月6日(水)7:47〜9:27の伊豆長岡の空。23秒。

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