【きょうの一枚】清酒「桃川」。
「桃川」は昔からある青森の酒だ。地元のスーパーで見つけて買い置きしておいた。
青森は奥羽山脈を境に東と西で文化が分かれる。藩で行政区分された時代は、東の太平洋側は南部藩に属し西の日本海側が津軽藩に属した。日常使う言葉も南部弁と津軽弁に分かれていた。
私は、その文化を隔てる奥羽山脈の北端が陸奥湾にすとんと落ちる付け根の寒村に生まれ育った。今は青森市だが、当時はまだ津軽藩で、私が生まれたときはまだ東津軽郡だった。
ところが、途中で青森市が誕生して東津軽郡は青森市を挟んで東と西に分断された。つまり、青森市ができたことによって旧来の東津軽郡は引き裂かれ、市の東と西に二つ存在することになった。やがて東側は市に吸収されて現代に至るが、そのときも西側だけはそのまま残った。
清酒「桃川」は南部の酒である。百石ももいし)川の伏流水で仕込んだから「桃川」と呼ばれた。百石川は今の奥入瀬川のことで十和田湖を源として太平洋側に流れ出る。奥入瀬川の知名度が全国区になったため (かどうか)、渓流の上流だけを奥入瀬川と称していたのに、数年前から太平洋に注ぐ下流も含めて全体を奥入瀬川と称するようになった。
私が生まれ育った地域は津軽藩に属していたが、すぐお隣が南部藩だったため、南部文化にも色濃く染まった。「しゃべる」ことを南部弁で「へる」というが、「へる」は当たり前のように日常を飛び交っていた。
そういうこともあってか、文化の違いにさほどの違和感は感じなかった。大人たちも、どちらかといえば南部杜氏の仕込んだ酒を好んだようだ。津軽を代表する酒といえば「田酒」だが、それよりも南部の酒の方が安くて旨かったということもあったと思う。イベントなどに振る舞われる御神酒のほとんどは南部の産だった。
【書】「鳩居」キュウキョ(No.1,444)
「妻が夫の家を自分の家とするたとえ。はとは、自ら巣を作らず、かささぎの巣にすむことからいう。また、仮住まい。」(『旺文社漢字典第2版』)
「鳩」は、鳥と、音を表す九(キュウ・ク。はとの鳴き声の擬声語)とで、「はと」の意を表す。
「居」は、尸(しり=尻)と、音を表す(コ。キョは変化した音。よる意→拠)とで、しりを落ち着けて動かない意、ひいて「いる」意を表す。
銀座に「鳩居堂」という老舗があるが、店名をここから拝借したかどうかは判らない。たぶんそうじゃないかな。書きながらそう思った。
【ディジタル画】『彼岸過迄』停留所 四(No.884)
敬太郎は友人の須永を訪ねた時に見た後ろ姿の女を忘れられない。どういう女だろう。
しかし、和服女性の後ろ姿って、絵になるねえ。
【昭和の風景】164
鬼の復活。走る赤鬼。
どこかに向かって走っている。というより、追われて逃げているように見える。
追っかけているのは人間だろうか。善良な人間を騙して財宝を手に入れた鬼どもを懲らしめようとしているのだろうか。桃太郎の昔話を連想させます。
青年に育った桃太郎が道で会った犬猿雉を家来に従え鬼ヶ島へ行き、鬼から財宝を奪い取るシーンが実(まこと)しやかに語られるが、果たして、あの時の桃太郎は正義の味方だったのだろうかという疑念は今も拭えない。あれは人間の都合のいいようにでっち上げた作り話ではないのか。
【タイムラプス】6/1(木)6:41〜9:36の伊豆長岡の空。21秒。