カミさんが来た。
カミさんは70まで働いて、働き終えたら伊豆で暮らすと言っている。
「70まで働く」という意味は、「70になったらやめる」という意味ではなく、「71になるまで働く」という意味なのだそうだ。だから、70を過ぎた今も現役として働いている。そこまで働くなんて、ほんと頭が下がりますよ。
本人に言わせると、別に働きたくて働いているわけではない。後に続く人がいないから已むを得ず働いているというのが本当らしい。
私だったら、そんなやっつけ仕事、とっとと辞めるけどね。仕事に未練はない。辞めて今までできなかったことをやりたいと思うけど、カミさんはそう思わない人らしい。
趣味がないからな。仕事を辞めても有り余る時間を持て余すタイプじゃないかな。
仕事が趣味なんだよ。変なの。やりたいことやればいいのに。
だから、好きなのは仕事なんだってば。仕事を辞めてもやることがないから仕事をするしかないんだよ。可哀想なやつだ。
いや、可哀想なのは私の方かもしれない。私だって、今もって自分のやりたいことをやれてないもんな。
【きょうの一枚】センニンソウ(仙人草)。
家の前にあるホテルの植え込みや庭の八重桜に覆いかぶさる。どころか、近所の至る所に生え伸びている。
白い花で、別名を「ウマクワズ(馬食わず)」とも言う。
花に見えるのは実は萼で、花弁はない。形は十字を成しており、有毒植物で樹液が皮膚につくと皮膚炎を起こす。らしいが、庭いじりの邪魔になるので素手で引き剥がしても、今のところ痒みとか腫れるなんて症状もないから、有毒植物とは言っても大したことはないのだろう。漆ほどかぶれないのかもしれない。
それにしても「馬食わず」とはよく言ったものだ。馬はこの草を口にしてはいけないことをちゃんと知っていたのだ。動物的勘というやつかな。えらいぞ馬。
それにしても人間のなんと愚かなことよ。普段偉そうなこと言ったって、馬に勝てねえじゃねえか。
【書】「奪」ダツ(No.1,526)
「鳥が大いにはばたく意のパーツ(大と隹の会意)と手(寸は変化した形)とで、手から鳥がにげ去る意。転じて「うばう」意に用いる。(『旺文社漢字典第2版』)
【ディジタル画】『彼岸過迄』松本の話一(No.966)
市蔵(須永)と千代子の間がどうなったか僕(敬太郎)は知らない。「別にどうもならないんだらう」と見ている。
それが正解なんだろうな。夫婦になっても上手くいかないし、かといって友達のままでいることもできない。どっちにしろ一緒に暮らすのは無理、ってえことだ〜な。
作品でも言ってるよ。「まあ二人の持つて生れた、因果と見るより外に仕方がなかろう」。
【昭和の風景】東海道五十三次「見附」白黒。(No.246)
「見附」は、現在の磐田市見附付近。「見附」とは、水(み)に接する土地であることが由来。慣れ親しんだ神奈川・平塚にも「見附」という地名があり、よく知っていたが、そこがかつて水に接する土地であることは知らなかった。今はもちろん、見る影もない。
磐田市の見附は天竜川の左岸にあたり、大井川と違って水深があったために、大井川ほどの難所ではなかった。が、そこは、川止めされた人々で島田宿と同じく賑わったという。
【タイムラプス】令和5年9月11日(月)7:02〜13:04の伊豆長岡の空。22秒。
タイムラプス撮影しているのに気づかず昼過ぎになった。こんなことは珍しい。カミさんが来ているせいだ。昼飯を作る必要がないから外で庭いじりをしていた。