電話してカブを取りに行った。
久々に歩く土手道である。
暑い。玉のような汗がぼたぼた垂れる。風はすっかり秋だけど、川原の土手はまだまだ夏だ。
土手道はサイクリングロードにもなっていて、タイヤの細い自転車にまたがってそれらしい格好をした老若男女が通り過ぎる。まさに「風を切る」という形容がふさわしい。なかには下腹でっぷりの男の人がいて、その人は自転車を石塀に立てかけてマイドリンクを飲んでいた。とても自転車乗りには見えないが、格好だけは一丁前に自転車の腹からドリンクを取り出してちゅーちゅーやっていた。うん、何事も形から入るのが基本だな。
バイク屋に着いたら、柄本明似のおじちゃんはおらず、おばちゃんが修理書を用意して待っていてくれた。外に軽トラがなかったところをみると、おじちゃんはおそらくバイクの下取りに出かけたのだろう。水槽でグッピーが夏バテなんのそのとばかりに泳ぎ回っていた。
カウンターの上にチューブがべろんと臓器みたいに横たえられていて、見ると、空気を入れる根元がひん曲がっていた。人の手で開けたとは思えないような穴である。これはたぶんバイクをすっ転ばした時にできた傷だな。逆に、よく今まで傷口から空気が漏れなかったか不思議。それくらいのでかい傷穴だった。
とても素人の手に負えない傷で、チューブを新しいのに交換しないといけないくらいの傷だった。ネットには、タイヤ交換くらい素人でもできる、みたいな内容をうたうサイトがあるけど、店に新品のチューブが置いてあるからパッと交換できるのであって、とてもとても素人にゃできませんよ。
工賃も含めて、バイクのことはバイク屋におまかせ、というのがいいみたい。少なくとも、好んでバイクをいじらない私はそう思います。そのためのバイク屋さんなんだから。
【きょうの一枚】新品のタイヤに生まれ変わったカブ。
つるんつるんだったタイヤが見事に生まれ変わった。溝がくっきり鮮やかに蘇った。
これで調子こいてぶいぶい走らせたら元も子もない。また転ける。でも走りたいな。伊豆は、バイク野郎には垂涎の峠道が至る所にあるんだもん。
【書】「台(䑓)」ダイ(No.1,525)
「高(たかどの)の省略形と至(室)とで、土を盛ってきずいた物見台、高い建物の意を表す。転じて、物をのせる台の意に用いる。」(『旺文社漢字典第2版』)
【ディジタル画】『彼岸過迄』須永の話三十五(No.965)
髪結を終えて鎌倉に戻ろうという千代子は僕(須永)に言う。「貴方は卑怯だ」
「卑怯」の意味を千代子は説き聞かせる。
「貴方は妾(あたし)を御転婆の馬鹿だと思つて始終冷笑してゐるんです。貴方は妾を……愛してゐないんです。つまり貴方は妾と結婚なさる気が……」(中略)「……高木さんは紳士だから貴方を容れる雅量が幾何でもあるのに、貴方は高木さんを容れる事が決して出来ない。卑怯だからです」
そう思うなら、高木さんという人と一緒になればいい。知ったこっちゃない。だけど、「卑怯」とまで言われちゃ黙って引き下がるわけにもいかない。こっちも男としてのプライドがある。
【昭和の風景】東海道五十三次「袋井」色付き。(No.245)
昔の宿場町は、ちょっと裏へ出れば、こんなのどかな田園風景が広がっていたんだねえ。というか、田園の中に家並みがまとまっていた。そこで稼げると思ったらそこに人が移り住むというのは、今も昔も変わらない。
【タイムラプス】令和5年9月10日(日)6:17〜8:19の伊豆長岡の空。30秒。