いずぃなり

伊豆でのシニアライフ

蟬の穴どこまでもどこまでも闇深き(あ)

【きょうの一枚】蝉の穴。

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 孫のためにこしらえたブランコの下に穴を見つけた。蝉の穴である。

 このところの猛暑にうんざりする毎日だが、出がけに庭をふと見たら小さな穴があった。孫がよく遊んだブランコの下にある。手前にもある、後ろにもある。庭は至るところ蝉の穴だらけである。

 穴の大きさから推してクマゼミだろう。透明な羽を持つクマゼミはシャーシャーと鳴く。そこへアブラゼミが加わった。

 洗濯物を干そうと二階に上がったら、網戸にへばりついていた。

 別に脅かすつもりはなかったが、網戸に手をかけたらひと鳴きして崖下の奥へ飛んで消えた。

 いよいよこいつの出番となったか。こいつが鳴くと昼寝もままならないが、しゃーない、しばらくは蝉の合唱に付き合うとするか。

 

【書】「嘉聞」カブン(No.1,502)

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「よい評判。=佳聞」(『旺文社漢字典第二班』)

「嘉」は、ことほぐ意の原字加に、〓(夾の下に豆を置いた形。たかつきに食物を盛ったさま)を加えて、手あつく「よみする」意を表す。

「聞」は、耳と、音を表す門(モン。通じる意→問)とで、耳にとどく、「きこえる」意を表す。

 

【ディジタル画】『彼岸過迄』須永の話四(No.942)

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 須永には妹がいた。妙ちゃんという。「大きな模様のある被布を平生(ふだん)着て、人形の様に髪を切り下げてゐた」。

 「被布」とは何か。「着物の上にはおる、羽織に似た衣服。女性や子どもが多く用いた」と全集注解にある。

 これだけではピンと来ないので、ネットに当たった。するとネットにはこれでもかというくらい画像がたくさんあった。

 これならわざわざ学校まで行って、先生に聞くまでもない。どういうものかを知るだけだったらネットに聞けばいい。

 スマホで「被布」という語を入力して検索すると、たちまちいろんな「被布」を見せてくれる。便利なことこの上ない。

 それを孫たちはグーグル先生と呼ぶ。わからないことがあったら、「そうだ、グーグル先生に聞こう」というわけだ。

 聞いてどうするんだろう。それが正しいか間違っているかは誰が判断するんだろう。間違っていたとして、それを誰が修正するんだろう。そもそも「正しい」とはどういうことなんだろう。考えれば考えるほど判らなくなる。

 我々は何が正しいかも判らない、そんな不確かな時代を生きている。

 

【昭和の風景】222

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 「三島」色付け。

 背後のシルエットが絶妙。こういった表現があるんだ。すごい技術だな。身震いする。

 朝靄の立ち込める三島宿。三島大社の鳥居に向かって右側が箱根、左側が沼津。その分かれ目に一本、伊豆半島を真南に突き抜ける街道がある。それが下田街道。

 三島に勤めていた頃、仕事の帰りに下田街道を南へ向かって歩いたことがある。

 歩いて歩いて最寄り駅まで歩いたが、足がへろへろになった。その時、二度と歩くまいと決めた。そして、そのとおり二度と歩かなかった。

 距離にしたら20キロちょっと。大したことはない。街道も一本道だから迷うことはない。でも歩くと大変。昔の旅人は健脚だったんだなあとしみじみ思う。

 

【タイムラプス】7/29(土)6:45〜8:24の伊豆長岡の空。24秒。

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