午後、地元の小学校の運動会の様子を見に行ったら、運動場はすでにもぬけのからだった。トラックに白線だけが虚しく残っていた。
今は給食をなしにして、午前中で児童を帰らせるのだろうか。
給食制度などなかった昔、運動会といえば村の一大イベントだった。我が子の勇姿見たさに、朝から家族総出で陣取り合戦縄張り争いを繰り広げたものだ。
昼飯は母が夜鍋で拵えた重箱料理を茣蓙に広げ、それを摘んで宴が催されたものだった。それも今は昔の話。
でも、自分がどっぷり浸かってきた村文化が消えてゆくのは寂しい。今はそんな時代ではないと言われればそれまでだが、今の子は何を心に刻んで大人になっていくのだろう。心に引っかかるものが何もないのだろうか。それではあまりに寂しすぎる。
寂しいと思うのは、かつてそんな運動会を経験した私たち大人だけなのかもしれない。子供は平気で現代文化を受け止めているから寂しいなんてちっとも思わないのだろう。それが当たり前だと思っている。
子供はいつだって真摯で一途だ。手を抜かない。どういう環境にあっても生きる力を持っている。それが子供なんだと思う。将来のことなんてこれっぽっちも考えちゃいない。いつの時代もそうだった。
だから、大人は余計な口出しをせず、子供たちのやることをじっと見守っていればいいんだ。
【きょうの一枚】タチアオイ(立葵)。
ミニトマトの無人販売所へ行く途中に田圃が広がっている。その田圃の畦に咲いていた。
『万葉集』以来、葵といえば立葵のことだった。徳川家の「葵の御紋」もそう。
田園に赤とピンクの立葵が並び咲く。その脇の野道を歩いている。
いいなあ。原風景に心洗われるようだ。
万葉人はこの花を見て詩心を沸かせたのだろうが、私の心にはそのロマンの欠片もない。
近くの農家の納屋では、若者が近代文明の象徴たる車をピカピカに磨いていた。
【書】「較然」コウゼン(No.1,439)
「はっきりしているさま。著明。」(『旺文社漢字典第2版』)
「較」は、車と交(まじえる意)とで、車の箱(輿)の上に組み合わせた横木の意を表す。借りて「くらべる」意に用いる。
「然」は、灬と〓(ゼン・ネン。月を左に犬を右に組み合わせた形。犬の肉の意)とで、犬のあぶら肉を火で焼く意、ひいて「もえる」意を表す。燃の本字。借りて、是認の意を表す語、また形容詞、接尾辞などの助字に用いる。
【ディジタル画】『彼岸過迄』風呂の後 十一(No.879)
敬太郎は所用で内幸町に行った帰りに電車に乗った。電車には背中に子をおぶったある婦人が乗っていた。蛇の目傘を脇に立て掛けてある。そのとき敬太郎は、「森本と一所になって子迄生んだといふ女の事を思ひ出した」。
森本は、どこへ消えてしまったんだろう。
【昭和の風景】159
幼子を口に咥えている浮世婦人。よく見ると、頭に二本のツノを生やしている。
鬼だ。こんな貴婦人の顔をしながら、内面に鬼を飼っている。
【タイムラプス】5/27(土)7:00〜10:03の伊豆長岡の空。22秒。