いずぃなり

伊豆でのシニアライフ

夏めくやローカル看板商店街(あ)

 きょう、元同僚からケータイに電話があった。◯◯さんの消息を確かめられないという。

 まさか、孤独死? 家で独り干からびてたりして。

 私より一つ年下だけど、その方は横浜で独り暮らしているからあり得る話だ。

 他人事ではない、遅かれ早かれ私もいつかはそうなる。心しておかねば。

 

【きょうの一枚】駅近くの商店街。

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 前の道は下田街道。下田街道は三島大社を起点に伊豆半島を南に縦断して下田港へ通じる。途中、浄蓮の滝・天城峠を抜ける。ご存じ『伊豆の踊子』の舞台になった街道だ。

 この街道から遥か山に入った温泉地には川端康成が『伊豆の踊子』を執筆したという当時の旅館が今も残っている。梶井基次郎もその旅館に川端康成を訪ねているし、井上靖著『しろばんば』の洪作少年が川遊びをした場所も湯ヶ島のこの辺りではなかったかと推察している。

 また、「修善寺の大喀血」で知られる漱石も、大仁駅までではあるが(当時はまだ修善寺駅がなかった)「いずっぱこ」の車窓から街道の往来を眺めていたのではなかったか。

 この街道を行き来する車は存外多い。そのため信号も多い。それを避けるのに地元の人は山裾を並行して走る農道を使う。カミさんもそっちを使って函南から伊豆縦貫道に乗って箱根新道に出る。でも、その道は韮山反射炉の近くを通るから、反射炉が世界遺産になってから随分混むようになった。

 駅からの十字路に居酒屋チェーン「魚民」ができたのは数年前。なんでこんな田舎に「魚民」が? 田舎に「魚民」は必要なかろうと思っていたら、どっこい今も頑張ってる。私はまだ入ったことがないけど、潰れないほどにほぼほぼ繁盛しているみたい。

 

【書】「量知」リョウチ(No.1,430)

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「おしはかって知る。推量。」(『旺文社漢字典第2版』)

「量」は、曰(品物の意)と重(重さの意)とで、物のおもさを「はかる」意を表す。

「知」は、もと吁(ク。のち口に変化。さけぶ意)と矢(あたる意)とで、正しく言いあてる意を表す。ひいて「しる」意に用いる。

 

【ディジタル画】『彼岸過迄』風呂の後 二(No.870)

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 敬太郎は銭湯で一緒になった森本と連れ立って下宿へ戻る。

 敬太郎の部屋は下宿の三階にあった。敬太郎は森本を部屋へ誘う。と、森本は「恰(あたか)も自分の部屋へでも這入るやうな無雑作な態度で」窓の障子を開けながら手摺付きの縁板の上へ濡れ手拭を置いた。

 「縁板」。??? ネットに当たったがよく判らない。「濡れ手拭を置いた」とあるから、手摺に濡れた手拭を干したわけでもない。何だろうと思いながら、結局判らなかった。ただ、障子を開けて見る景色が「貴方の室から見た景色は何時見ても好いね」とのことらしいから、窓から見る景色はさぞかし見事なものだったのだろう。

 私にとって見事な景色とは、窓を開けたら飛び込んでくる新緑の景色だ。そういうところに住むことにずっと憧れていた。それが今できている。障子戸を開けると庭の緑が飛び込んでくる。これ以上望めない最高の景色だ。

 

【昭和の風景】152

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 龍第12弾。

 「大人の塗り絵」に格好の龍を見つけた。早速色をつける。でも、色を塗るだけじゃ何か物足りない。でも、それだけでもくたびれた脳には刺激になる。

 絵を描いてると、いろんな刺激をもらう。それってどんな格好をしているんだろうと思いながら描く。そんなふうに思考を巡らすのが楽しい。

 

【タイムラプス】5/18(木)7:29〜10:01の伊豆長岡の空。39秒。

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