若い人が昭和の歌に惹かれるという。メロディや歌詞が判りやすいから、ストンと心の中に入ってくるらしい。
歌に限らず、画もまたしかり。
私は昭和28年に生まれて今の令和を生きている。これからどこまで令和の時代が続くか判らないけれど、令和には何の思い入れもない。あるのは昭和のみ。
昭和に生まれ昭和を生きてきたんだからそれはある意味仕方がない。昭和という時代を懐かしく思い出し、それを画に描き残したいと思うのは自然の理だ。
どのみち、自分のこれまで歩んできた道から見た風景はどんな景色だったのか。それを懐かしみながら愚直に思い描いていこうと思う。
と考えると、これも一つの終活ということになるのかな。
【今日の一枚】住んでいる場所の家並み。
地区公民館に行く上の道から見る家並み。
もともとここは丘陵地に温泉権をつけて開発分譲したらしい。が、今は温泉は供給されていない。
かつて温泉がひかれていたことを示す名残の管は今もあるけど使っていない。坂を降りれば日帰り温泉施設がごちゃまんとあるから、その気になればそっちを利用する。
孫どもと一緒に住む前は、一人内風呂に入るのがもったいない気がして、よく日帰り温泉を利用した。孫どもがいなくなった今は元に戻った、かというと戻らなかった。そのまま惰性で内風呂をたてている。
でも、温泉はいいよなあ。体が芯からほっこりする。そろそろ日帰り温泉、復活させようかな。
【書】「梅信」バイシン(No.1,326)
「梅の花が咲きはじめたという知らせ。」(『旺文社漢字典』第2版)
「梅」は、木と、音を表す每(バイ。母親が子を生む意)とで、「うめ」の意。原字は某。
「信」は、人と言(ことば)とで、人のことばにうそがない、「まこと」の意を表す。借りて「のびる」意に用いる。
【ディジタル画】『門』 一の二(No.766)
宗助と御米が住む家は崖下に建つ。
「廂に逼る様な勾配の崖が、縁鼻から聳えてゐるので、朝の内は当つて然るべき筈の日も容易に影を落さない」。
まるで人目を忍ぶかのような佇まいである。
なぜ、そんなところに住むか。それは『それから』を通過しないと判らない。それが『三四郎』『それから』『門』と続く三部作たる所以である。
【昭和の風景】49
素潜りといえば「海女ちゃん」を登場させないわけにはいかないでしょう。
というわけで、今回は海女さんを描いてみました。
描いている間、ずっと「海女ちゃん」のテーマソングが頭の中を流れていました。
あの朝ドラ、脚本の評判はイマイチだったけど、私は好きでしたよ。
【タイムラプス】2月3日(金)7:41〜9:30の伊豆長岡の空。27秒。
【新型コロナ】2/3(金)23:55現在(Yahoo!より)
<国内>
新規感染者数→39,826(前週同曜日比 −14,027)
累計感染者数→32,695,935
死亡者数→69,332(前日比 +246)
<静岡県>
新規感染者数→1,759(前週同曜日比 −574)