いずぃなり

伊豆でのシニアライフ

レパートリー増して新春料理かな(あ)

 夕方、カミさんがやってきた。新年明けまして、まさか来るとは思っていなかったので驚いた。いや、助かった。
 夕方は孫を連れて地元の神社まで初詣に出かけるつもりでいたが、あまりの寒さに気持ちが萎えた。それで外出を渋っていたところへカミさんがやってきた。
 カミさんが来るとうるさい小言をあれこれ聞かされることになるが、それさえ耳栓すれば、孫の世話が二馬力になるので私としては助かる。第一、晩御飯のことを考えなくて済むし、お菓子がカゴを満たすから大助かりだ。
 さて、元旦は恒例のお年玉を孫どもに渡す日。なのだが、今はギリギリの生活を強いられているので、経済的余裕がない。正直パスしたい気分だが、お年玉を楽しみにしている孫のことを思うとそうもいかない。身を斬る思いでお年玉を用意せざるを得ない。これはじぃじの面子である。
 というわけで、今年の抱負は一にも二にも金、金、金。それほど新年早々金でテンパってます。昼酒飲んで寝正月と決め込むわけにはいきません。ほんと、人生はいつどうすってんころりんするか判らない。
 そういえば、昨年暮れの朝日新聞コラム「天声人語」では文豪ドストエフスキーについて触れていた(12/28)。執筆の原動力になっていたのは実は借金だったそうな。それが本当なら、私もそれに倣って生活費のために創作活動に励んでみましょうか。いやそれは才能があればの話で、才能のない私にはそれも所詮はかない初夢、ですね。 


【きょうの一枚】肉巻きのコンニャク。

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 冷凍庫に豚肉を見つけ、豚肉を使ったおしゃれな料理がないかと「クラシル」で検索したら、これがヒットした。作ったら孫になかなか好評で、気を良くした私はこれを料理のレパートリーに加えることにした。余ったコンニャクはサイコロ状に切って「けの汁」の具に混ぜた。


【書】「共養」きょうよう(No.930)

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 「①飲食物をそなえて養う。=供養。②徳などを養成する。涵養。」(『旺文社漢字典』第2版)
 「共」は、おそらく儀礼のときに使う呪器(じゅき)をうやうやしく捧げ持って、神を拝むことを示す字であろう。それで共は「つつしむ、うやうやしい」の意味となり、恭のもとの字である。左右の手をともに捧げるので、共には「ともに、とも」という意味もある。
 「養」の音符は羊(よう)。羊に攴(ぼく=鞭などで打つの意味)を加えて、羊を養うことをいう。


【ディジタル画】『吾輩は猫である』 53(No.372)

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 苦沙弥先生宅を訪れた多々良三平君が、「鼠は捕らず泥棒が来ても知らん顔をして居る」吾輩を呉れと提案する。「何にするんだ」と苦沙弥先生に問われた三平君は「煮て喰べます」と答える。

 当時は猫を煮て食う習慣があったんだろうか。
 今回もすべて「Gガッシュ」で描いている。


【タイムラプス】1月1日( 土)8:42〜10:50の伊豆長岡の空。38秒。

https://www.facebook.com/1298610339/posts/10227630219723238/?d=n


【新型コロナ】1/1(土)10:00現在(Yahoo!より)
新規感染者数→510(前週同曜日比 +212)
重症者数→49(前日比 +3)
累計死亡者数→18,392(前日比 ±0)