いずぃなり

伊豆でのシニアライフ

願成就して目の黒黒と福達磨(あ)

 夕飯の買い出しに行こうとして驚いた。PayPayの残高が底をついていた。いよいよピンチです。
 欠食孫どもに食わせるのに食材が買えない。昨年末に新潟農家から取り寄せたお米がいくらか残っているから、しばらくはその米だけで飢えを凌ぐとしよう。まあ、米が食えるだけでもありがたいと思わなくちゃ、ですね。
 年明け早々、退職時に契約した生命保険を解約した。その現なまが口座に振り込まれるまで辛抱辛抱。2年先の生命保険よりもきょうあすの生活である。ああ、薬が切れても病院にも行けない。長生きなんてするもんじゃない。


【きょうの一枚】正月飾りの焼却。

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 ブランコ公園で正月飾りを燃やす。
 どんど焼きには達磨がつきものだと話をしていたところへ達磨を持って駆けつけてくれた人がいた。今年もどんど焼きほどの大掛かりなものではないぷちどんどだけど、達磨があるとないとではずいぶん雰囲気が異なりますね。
 鎮火を確認して、最後は御神酒で乾杯。今年こそどうか良い年でありますように。


【書】「光名」こうめい(No.938)

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 「輝かしい名声。」(『旺文社漢字典』第2版)
 「光」は、人が頭上に火をのせたさまで、火がてらす、「ひかり」の意を表す。
 「名」は、夕と口(いう意)とで、夕方の暗がりでなまえを言って相手に自分を知らせる、なのる、ひいて「な」の意。


【ディジタル画】『吾輩は猫である』 60(No.380)

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 苦沙弥先生宅へ越智東風君がやってくる。苦沙弥先生、迷亭先生、寒月君がいるところへ東風君が来れば、「主人の家へ出入する変人は悉く網羅したと迄行かずとも、少なくとも吾輩の無聊を慰むるに足る程の頭数は御揃になつたと云はねばならぬ」状況と相成る。いやあ、こんだけ揃えば吾輩でなくとも退屈しない。
 今回は、寒月君が創作したという俳劇が話題にのぼった。
 「俳劇たどんなものだい」と訊くご主人に、寒月君は「俳句趣味の劇と云ふのを詰めて俳劇の二字にしたのさ」と答える。
 舞台の真ん中に大きな柳を一本植え付けて、その枝へ烏を一羽止まらせる。それで柳の下の盥を置いて美しい女に行水させる。そこへ高浜虚子がやってきて「行水の女に惚れる烏かな」という句をものす、という、まあそれだけの劇。その後、高浜虚子のその時の思いを烏が代弁したと解釈を加えるが、「俳劇なんぞ百作つたつて二百作つたつて、亡国の音ぢや駄目だ」との酷評を受ける。俳劇が流行しなかったわけがなんとなく判る気がする。
 高浜虚子がものしたとされる句だけ「墨ブラシ」で書き、あとはすべて「Gガッシュ」で描いた。 


【タイムラプス】1月9日(日)6:22〜8:00の伊豆長岡の空。24秒。

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【新型コロナ】1/9(日)10:00現在(Yahoo!より)
新規感染者数→8,480(前週同曜日比 +7,946)
重症者数→89(前日比 +2)
累計死亡者数→18,401(前日比 +2)