いずぃなり

伊豆でのシニアライフ

身にしむや生の残りを剥ぎ取らる(あ)

 このところ、庭に出ると落ち葉拾いばかりしている。拾ったそばからハラハラ舞い落ちてくるから、これでおしまいという終点が見えない。
 が、私は落ち葉拾いをそれほど無駄の骨頂とは思っていない。思索にふけりながら落ち葉を拾うのも悪くない。
 また、散歩もいい。一見、生産性がないようだけど、そんなことはない。私は基本的に、気を休めるために行う全ての所作には生産性があると思っている。時には思い詰めることも必要かもしれないが、思い詰めすぎると大抵精神衛生上支障をきたす。そんな時は心を適当に解放してやるのがいい。それには落ち葉拾いや散歩がいちばん。煮詰まった精神がほぐれるし、もしかしたら思わぬひらめきが降臨してくれるかもしれない。


【きょうの一枚】本日の日めくりカレンダー。

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 写真の日めくりカレンダーは、10月11日が「スポーツの日」の旗日になっているが、ご承知のとおり今年の「スポーツの日」は、東京五輪開会式をどうしてもその日にやりたいと偉い人がおっしゃって、7月23日(金)に移った。なぜ、その日でなければならなかったのかは未だにつまびらかにされない。公表できない不都合が黒い霧のように真相を覆い隠しているが、そのことを誰も追及しない。
 真夏の、しかもコロナ禍での東京オリパラ開催は直前までその是非が問われたのに、終わってみれば国民こぞって「感動をありがとう」の大合唱。
 なんだかんだ言って今回の東京オリパラは、私にとって、結局マスコミに踊らされた感が強く印象づけられた大会になりました。
 日めくりカレンダーに罪はないけれど、カレンダー制作の頃はまだ10月11日が「スポーツの日」だったことを物語る証左として、ここにアップしておきます。


【書】「氏神」[国]うじがみ(No.848)

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 「①氏族の祖先として祭る神。②その土地の守り神。鎮守(ちんじゅ)の神。産土(うぶすな)神。」(『旺文社漢字典』第2版)
 「氏」は、把手(とって)のある小さな刀の形。祖先の祭りの後で行われる氏族の共餐(きょうさん=集まって食事すること)のとき、この小刀で祭祀(さいし=祭り)に用いた肉を切り分けるので、この肉切り用のナイフが氏族の象徴となり、氏族共餐に参加する者を氏という。それで氏は「うじ(氏族)」の意味となる。
 「神」の音符は申(しん)。申は稲妻(いなずま=電光)の形。稲妻は天にある神の威光のあらわれと考えられたので、金文では申を「かみ」の意味に用いており、申が神のもとの字である。


【ディジタル画】『吾輩は猫である』7(No.290)

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 「吾輩」が転がり込んだ家の主人がいよいよ登場。この後の部分で職業は教師だと明かされ、読書しながら時折よだれを垂らして居眠りしているところを「吾輩」に暴露されるが、そのシーンまで文章を書けると思ったら辿り着かなかった。だから、きょうの画は完全な勇み足。でもまあ、それもまたよし。楽しみながら描くのがいちばん、ということでご勘弁。 


【タイムラプス】10月11日(月)7:23〜10:06の伊豆長岡の空。20秒。

https://www.facebook.com/1298610339/posts/10227131872384866/?d=n


【新型コロナ】10/11(月)10:00現在(Yahoo!より)
新規感染者数→551(前週同曜日比 −415)
重症者数→483(前日比 −18)
累計死亡者数→17,940(前日比 +10)