いずぃなり

伊豆でのシニアライフ

バイク音静まるあたり夏灯し(あ)

 今日来る予定の孫だが、お兄ちゃんが5/18(月)に提出しなければいけない課題がまだ出来上がっていないとかで、5/19(火)に来ることになった。どうするよ、伊豆牛を買っちまったよ。

 そして夕方、学校からメールが届き、6/1(月)の学校再開に向けて前の週の5/25(月)から慣らし運転をすることになったと知る。正式には5/18(月)のメールで具体的に示すという。

 そうですか、約3ヶ月近くに及ぶ臨時休校も、いよいよ再開しますか。

 国は昨日(5/14)、8都道府県を除く39県で緊急事態宣言の解除に踏み切った。それを受けての学校再開には違いない。

 だが、特に新型コロナウイルスの感染拡大が収束したわけではない。現に28歳という若さで亡くなった力士もいる。コロナ禍は引き続き警戒を要するレベルにある。

 そんな中で子どもたちにも「新しい生活様式」が求められるとのことだが、子どもたちにとって「新しい生活様式」って何だろう。

 学校が9月入学になることか。これは大きな変革だろう。しかし、それは社会的に見ての大きな変革で、子どもたちにとっては4月入学であろうが9月入学であろうが、学校が生活の中心であることに変わりはない。

 私はこの際思い切って9月入学にしたらどうかという考えだ。夏目漱石『三四郎』の時代は9月入学だったのだし、世界的に見てもアメリカ、イギリス、フランス、ロシア、中国など9月入学が主流になっている。だからといって世界の潮流に合わせる必要はないが、世界で活躍する人材を求めるなら、9月入学のメリットの方がはるかに大きいような気がする。深い考えに基づいているわけではなく、あくまでも感覚的な推察ではあるが。

 極論を言えば、学校の入学なんていつだっていいじゃないかと思っている。入りたくなったら入ればいい。昔の寺子屋みたいに。今の塾みたいに。そこで学んで、もう学ぶものがないと思ったら出ていけばいい。

 問題は入学時期ではなくて、子どもたち一人ひとりの学ぶ権利をどう保証するかということなのではないかな。子どもたちにとってこれからの「新しい生活様式」とは、全員同じことを右へ倣えで学ぶ様式ではなく、自分の好きなことを好きなだけ学べる様式でなければいけない。

 それにはITCの活用はどうしたって欠かせない。今回みたいに学校機能がストップしても、例えばオンライン学習のように、学ぶ機会を絶やさないシステムを構築していかなければいけないと思っている。

 

【今日の一枚】電池で灯すLEDランタン。

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 うちの車庫には灯りがない。

 いつぞやカミさんが夜遅く車で来たとき、灯りがなくて車庫入れに苦労したと言っていたのを思い出し、冬場の日が短い時分に、湯屋へ行くときに家から持ち出していたランタンを常時ぶら下げることにした。ちょっとした家のひと飾りにもなるような気がして。

 電飾ですか。あれはダメです。どうも金持ちぶっていて嫌い。うちはこれだけの電気代を払える余裕があるんだぞと見せびらかしているようで、性に合わない。ま、ひがみですけど。

 単3二本の電池だから大して明るくはないが、真っ暗闇にぶら下げると意外に明るく感じる。それだけでカミさんの車庫入れの足しにはなろう。

 玄関アプローチの石段の方が実は足元が暗くて危ないのだが、そっちにはソーラーで点灯する照明を木の根っこの穴に差してある。だけど、ソーラーだけに日中雨だったりすると点灯しない。そういうときはお隣の門灯を頼る。夜、タクシーで帰ったりする時も、運転手に、「あの白い灯りのところで停めてください」と、ちゃっかり目印に使っている。これを「持ちつ持たれつ」という。かどうかは知らない。

 

【絵日記】宇多田ヒカル(No.143)

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 唇の描き方のコツがだんだん判ってきた。

 これくらいなら大体2時間もあれば描けるようになってきた。

 

【温泉】一二三荘。

 

【タイムラプス】5月15日(金)5:12〜7:30の伊豆長岡の空。34秒。

https://www.facebook.com/aisakajiro/videos/10222965498588125/?d=n