【書】『嵯峨日記』3 (No.1,967)
「廿日、北嵯峨の祭見むと羽紅尼来ル。去来京より来ル。途中の吟とて語る。 つかみあふ子共の長や麦畠 落柿舎は昔のあるじの作れるまゝにして処〻頽破ス。中中に作みがゝれたる昔のさまより、今のあはれなるさまこそ心とゞまれ。彫せし梁、画ル壁も風に破れ雨にぬれて、奇石怪松も葎の下に隠れたるニ、竹縁の前に柚の木一もと、花芳しければ、 柚の花や昔しのばん料理の間 ほとゝぎす大竹藪をもる月夜 尼羽紅 又やこん覆盆子あからめさがの山 去来兄の室より菓子・調菜の物など送らる。」
(訳:二十日 北嵯峨の愛宕山の愛宕権現の祭りを見に、凡兆の妻の羽紅尼が来る。 去来が京都から来る。途中の作だと次の句を語る。 つかみあふ子共の長や麦畠(麦が子供のたけほどにも伸びている。その麦畑の中で子供がつかみあいをしたりして遊んでいる) わたくしも次のような句文を示した。 落柿舎は、昔の持主が造ったままで、所所破れている。が、りっぱに造り立てた昔のさまより、いまの崩れかけた様子のほうがかえってずっと心惹かれる。彫刻を施した梁や絵をかいた壁も、いまは風に破れ雨に濡れて傷んでいるし、庭の奇石怪松も葎の下にかくれているが、竹縁の前に柚の木が一本あって、昔を語り顔に、香りのよい花をつけているので、 柚の花や昔しのばん料理の間(この落柿舎は、いまは古びて荒れているが、広い料理の間なども残っていて、その昔は豪華な膳部の支度なども行われたことであろう。せめて柚の花の香りに、昔の栄華を偲ぶことにしよう) ほとゝぎす大竹藪をもる月夜(太い高い竹が鬱蒼と茂っている、広い竹藪である。竹の葉をもれて月の光がさし、光はわずかな風にもちらちらと揺れる。折しも藪の上を、ほととぎすが鳴きながら飛び去った) また羽紅尼も俳諧をたしなむので、次のような発句を作った。 又やこん覆盆子あからめさがの山(芭蕉老師のご滞在中にまたこの地に参りましょう。その時は嵯峨の山のいちごよ、赤らんでいてくれよ) 去来の兄の内室から、菓子や副食物などが届く。
【昭和の風景】津軽弁(No.667)
「まじろ いま ごしょいも 煮で かへら。」
「待って 今 じゃがいもを 煮て 食わせるから。」の意。
ポテトチップなどなかった時代の話。
「じゃがいも」は、「ごしょいも」とも言い、単に「いも」と言えば「じゃがいも」のことを指した。「馬鈴薯」と言ったりもしたが、「バレイショ」は、どこかハイカラな響きがあって私は好まなかった。
「さつまいも」を食べさせてくれた家もあった。が、皿に盛られて出てきたものはひょろ長いものばかり(失礼)。「さつまいも」栽培は基本的に青森のような寒冷地にはむかないかもしれないと子ども心ながら思ったものだった。
【タイムラプス】令和6年11月22日(金)
しまった。撮り忘れた。
てか、7:00前に公民館に集合するイベントがあって、それを優先させた。
帰ってから赤富士をカメラに収めようとしたが、案の定忘れた。
決められた場所と時間にやらないと、人間ってやり忘れちゃうんだね。