齢70とはなんぞや。それをつくづく考えるようになった。
この先、10年生きたとして80。20年生きたとして90。30年生きたとして……。
そのとき私は何をしているだろう。
何かをしているはずだが何をしているか想像もつかない。
私は青森に生まれて、青森で育って、進学するために上京した。そして今、伊豆に住んでいる。
都会の生活に憧れた。もっと富士山を見たかった。
たったそれだけのことで今あるところに住んでいる。
そう。たったそれだけで。
今住んでいるところはいいところか。
判らない。しばらく住んでみて、それから決める。
いいところかよくないところかといえば、いいところに決まっている。住めばどこだって都だ。だって、生活が自分中心に動いているんだもの。都だ、田舎だ、へったくれだなんて言ったって仕方ない。
私は小さい頃、いわゆる都会じゃないところに住んでいた。それはたまたま生まれ落ちたのが都会じゃなかったというだけのこと。だから、小さい頃の思い出は都会にはない山だったり海だったりした。そして、そこが私にとっての都だった。
私は都会に憧れた。そこには田舎にはない煌びやかな何かがあった。同じように富士山に憧れた。富士は日本一の山。そう唱歌に歌われるほどの山を一度見てみたいと思った。
そして、その通り都会の荒波に揉まれ、巡り巡って富士山の見える場所に住まいを持った。
それがいい人生だったかといえば、判らない。でも、いい人生だったんだろう。だって、私の憧れの地を私の足で経巡ってきたんだから。
こうして古来稀の年まで生きるとは思わなかった。この先どうなるんだろう。
それは判らない。判らないまま今を生きている。
もしかしたら、今とは違う人生を歩んでいたかもしれない。でも、今こうして歩いているのは、無意識のうちに選んだ自分の人生であって、もし違っていたとしても、もう振り出しに戻れっこない。そして人生の際に言うだろう、「いい人生だった」と。
どうも頭が変な思考回路に蝕まれてきた。送られてきた冊子に目を通したせいかもしれない。なんて感化しやすい単純なやつ。
【書】祐子内親王家紀伊ゆうしないしんのうけのきい(No.1,831)
「音に聞く高師(たかし)の浜のあだ波はかけじや袖のぬれもこそすれ」(意:噂に高い、高師(たかし)の浜に虚しく寄せ返す波にはかからないようにしておきましょう。袖が濡れては大変ですからね。(浮気者だと噂に高いあなたの言葉なぞ、心にかけずにおきましょう。後で涙にくれて袖を濡らしてはいけませんから))。
祐子内親王家紀伊は、平経方(たいらのつねかた)の娘で、藤原重経(しげつね)の妻(妹という説も)。母親は後朱雀天皇の第一皇女・祐子内親王に仕えた小弁(こべん)で、紀伊自らも祐子内親王家に仕えた。紀伊の名は、藤原重経が紀伊守だったところからきている。
【昭和の風景】津軽弁(No.551)
絵手紙。「わのごどば おべでる?」。
70を超えての高校同窓会。参加者の右も左も白髪で、かつての面影が浮かんでこない。物故者も多く、名を言われても即座に顔が出ない。久しぶりにあった感想は、どうしたって「わのごどば おべでる?」とならざるを得ない。これが歳をとるということなんだな。
【タイムラプス】令和6年7月13日(土)6:58〜9:16の伊豆長岡の空。33秒。
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