新年あけましておめでとうございます。穏やかな元日を孫と迎えています。
昼食後、孫と最寄りの神社に初詣。二人の孫は御籤を引いて、お兄ちゃんは「大吉」、孫娘は「小吉」。
そんな「小吉」の孫娘も4月から中学生になる。早いな。もうそんな年になるんだね。
昨年はコロナ禍ですったもんだしたが、さて今年はどうでしょうか。二人にとっていい年でありますように。
私も今年は職場環境も変わり、先き行の見通しが立たない。それでも、世のため人のためにできることをしたいという姿勢は細々持っていて、だから、体はだいぶガタが来ているけれど、動けるうちは動こうと思っている。
というわけで、本年もどうぞよろしくお願いします。
【今日の一枚】新年元旦の富士山。
新しい年を迎えた富士山。
タイムラプスを撮影していた時は、白雲が西から東へ千切れ飛んでいたが、午前9時頃にはその雲の姿も消え、青空が広がった。まばゆく神々しい富士山である。
こんな富士山を家のデッキから見られるなんて、なんて幸せなんだと思う。今住んでいるところを終の住処と決めたのは8年前。そうか、あれからもう8年になるのか。
8年といえば、私は昭和28年生まれ。つまり、日本が終戦を決めた年から8年後に生まれた。いわゆる「戦争を知らな子どもたち」の世代である。終戦という激動の歴史からたったの8年しか経っていないのに、私が生まれ育った周辺からはすでに戦争を伝え残す面影は消えていた。
もし私が、8年前、いやそれよりもっと前に生まれていたら、どういう世界を経験しただろうか。そのことと実際に私が伊豆に住んで8年経ったこととを重ね合わせると、私の通り過ぎた8年という歳月はなんて薄っぺらいんだろうと思わないではいられない。
人は誰でも幸せを願う。何をもって幸せとするかは人それぞれだが、私は、今ある状況を幸せだと思っている。少なくとも8年前に生まれなくて良かったと思っているし、福島原発事故の時に阿武隈にいなくて良かったと思っている。そして、こうして毎日のように富士山を拝める土地に住んでいることを本当に幸せだと思うのだ。
金はない。でも、ないなりに自分のやりたいことはできている。毎日温泉に浸かり、書を書き絵を描き碁を打ち、一句ひねって旨し酒を呑む。
こんな幸せがいつまでも続くわけがないとは思う。しかし、だからこそ人は、この幸せがいつまでも続いてくれるようにと祈るのだろう。
今年はどんな年になるか判らない。今日のような富士山が明日も見られるとは限らない。けれど、きっといい年であるよう願って人は新たな一歩を踏み出すのだ。
【タイムラプス】1月1日(金)5:54〜7:55の伊豆長岡の空。29秒。
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【新型コロナ】1/1(金)10:00現在(Yahoo!より)
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