いずぃなり

伊豆でのシニアライフ

花びらの舞つて散り敷き春のゆく(あ)

 「メモ」のタグ機能がだいぶ見えてきた。

 使い方がわかってくると、なるほど便利な機能だと思う。でもそれは自分にとって便利なのであって、自分以外の人が使って便利だと思うかどうかはまた別。だから人に勧められない。

 てか、タグがいくら便利な機能だからといってもデータを入力しなければいけないのが労力なのに変わりはない。Mac本体のキーボードを使って横書きしそれをスマホで見ようにもデータを打ち込まなければ見られない。だから、タグ機能が便利になったのかそうじゃないかはよく判らない。結局、周りが便利だ便利だと騒いでも本質は変わってないんじゃないかな。

 で、改めて文芸誌を手に取ってみる。文芸誌には文学賞の選評が載っていて、それを読むと各選者の目の向けどころというか好みが判って面白い。今回の直木賞は河﨑秋子氏の『ともぐい』と万城目学氏の『八月の御所グラウンド』のダブル受賞になった。が、選評を読むと、発表前から受賞作が決まっていたような気がしないでもない。今や飛ぶ鳥を落とす勢いの粒揃いなんだから、それはそれでいいのかな。でも、ベテランの書き手に向かって今更「おめでとう」というのもなんか変な気がするけど。

 選評を読み返して、なんでもありだなと思った。選者が百人いれば百通りの選評が出るのも当たり前で、要するに、好みが先行する世界なんだ。読んで好きか嫌いかで判定される。でも、それでいいと思う。小説というのはどう読んだっていいんだもの。

 選者の一人、林真理子氏が選評で述べていた。

 「今回の直木賞候補作は粒揃いであった。新鮮な魅力を持つ力作が多く、読んでいて非常に楽しかった」。

 読んで楽しいのが何より。それが苦痛だったら読まない方がいい。のだが、気軽に読める小説でも、書くほうは非常な苦労を強いられる。それを判ってやってほしい。

 産みの苦しみじゃないけど、みんな、人には言えないような苦しみを抱えて生きている。自分一人だけ重い十字架を背負っているような顔をしちゃいけない。顔に出したくても出せない人がいるんだ。顔に出せる私なんかまだいい方だよ。

 

【きょうの一枚】雨に散り敷くソメイヨシノの花びら。

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 雨に降り込められて家に閉じこもっている。障子戸を開けると、濡れたアスファルト道に古木の桜が散り敷いていた。道の向かいにあるソメイヨシノの花弁だ。

 今年の桜は一度は咲き止まったが、再びの陽気に蕾が一気に綻びて、そして一気に散った。

 桜ははかない。豪華絢爛に咲くから、散り際もその分余計にはかなさを感じる。いつの世もそう。桜は綺麗に咲いてはかなく散る。

 そのはかなさを今年も感じられている。

 

【書】「醴」レイ・あまざけ(No.1,736)

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 たかつき(豆)に一杯にもった酒の意の豊(れい)に酉(さけ)を加えて、豊と区別し、さけの意を表す。常用漢字は俗字による。(『旺文社漢字典第2版』ディジタル版) 

 

【ディジタル画】『倫敦塔』その13(No.1,176)

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 漱石が倫敦塔を訪れたとき、こういう格好をした衛兵がいたかどうかは判らない。でも描く人は、確かにいたと思って描いている。

 

【昭和の風景】墨画(No.456)

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 上手いなあ。とても敵わないや。いつかこういう絵を描いてみたい。でも、いつになったら描けるようになるんだろう。

 

【タイムラプス】令和6年4月9日(火)8:04〜9:49の韮山方面の雨空。25秒。

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