いずぃなり

伊豆でのシニアライフ

去る時代来る時代ありそして春(あ)

 今号の文芸誌は来月号と併せた「直木賞発表」号。

 一昨日は京極夏彦さんと浅田次郎さんの選評、昨日は桐野夏生さん、高村薫さん、林真理子さんの選評を紹介した。今日はそのほかの方の選評。

 選評は引き続き河崎秋子著の『ともぐい』について。

三浦しおん……非常に迷ったすえ、『ともぐい』を次点としたのは、「良輔、ふじ乃、八郎の描かれかたが類型的すぎるのではないか」ということと、「陽子がなぜ熊爪を殺すのか、わけがわからない」ということが理由だ。前者については、熊爪と町の人たちとの対比を際立たせるため、あえてだろうと推測、納得したが、後者については、「話を終わらせるために、唐突な展開にしたのかな」と思えてならなかった。

 だが選考会で、「熊爪も陽子も、熊なのだ」という解釈が提示され、自身の読みの至らなさを恥じた。だとすると、陽子の行動に非常に得心がいく。なんと自由な小説だろうと、そこが好きだったのだが、「自由かつ緻密」を体現しているとは、さらにすごい。山での暮らしや風景、猟に関する圧倒的な描写、文章を通して体臭までにおってくる熊爪の実在感など、本作の独自性、強靭な表現力には、全面的に感嘆しつつひれ伏すほかなく、受賞に心から賛同した。

宮部みゆき……河崎秋子さんの『ともぐい』と万城目学さんの『八月の御所グラウンド』は、形も色合いも食感も味わいもまったく異なる二種類のお菓子のようでした。同じお店では売っていないし、買うときに支払う通貨も、きっと異なるはずです。遠くかけ離れた二作でありながら、点数に大きな差はありませんでしたし、選考委員がみんなで熱っぽく、楽しく議論した二作でしたから、同時受賞は正しい結果だったと思います。おめでとうございます。

角田光代……「ともぐい」の熊爪のような、常識を持たず、言葉を用いず思考する人間を、言葉で描くのはむずかしいと思うのだが、作者はみごとにそれをやってのけた。熊爪の目が捕らえる、熊が傷つけた松の幹や、角の絡み合った鹿、養父が消えたあとの銀世界を描き出すことで、言葉よりはるかに巨大で豊潤で残忍な自然を、小説はじつに雄弁に語る。動物と人間、自然と人為、時代と現在の境界線をやすやすと壊してなお、さらに大きな世界を作る。

 陽子が熊爪を殺す理由がわからないという点で私はマルではなくサンカクの評価をつけたが、陽子もまた人ではなく、獣として、人となった熊爪を始末する必要があったという複数の選考委員の説明で、深く納得した。

 紙面が尽きた。『ともぐい』の選評はこれでおしまい。

 

【きょうの一枚】ガスキューブ本体を撤去した後の基礎コンクリート。

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 朝、電話があって急遽公民館に駆けつけたら、ガスキューブ本体をクレーン車で吊り上げ撤去した後だった。

 職人さんは朝が早い。というか、私が朝もたもたして遅くなっただけだった。

 

【書】「爵」シャク・さかづき(No.1,694)

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 鬯(チョウ。祭りに用いる香酒)と手とさかずきの形とを合わせた字。そのさかずきの形が雀(ジャク)に似ていたのでシャクといった。古代の宮廷の祭礼では身分によって受けるさかずきが異なったので、転じて、爵位の意に用いる。(『旺文社漢字典第二版』ディジタル版)

 

【ディジタル画】『坊つちやん』その53(No.1,134)

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 さすらいの歌人・若山牧水は、沼津から見る富士山をこよなく愛し、ここ千本浜を終の住処と決めて移り住んだ。

 私もここの景色が好きで、これまでに何度も足を運んだことがある。

 ここに若山牧水が登場するのは、『坊つちやん』のうらなり先生が延岡に赴任になり、延岡といえば牧水の故郷というつながりでご登場願った。

 井上靖の作品にも千本浜は幾度となく出てくる。

 

【昭和の風景】『東海道中膝栗毛』(No.414)

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 明治の錦絵。

 日本髪ばかりにそんなに時間をかけてもいられなくなった。だんだんコツをつかんできたということか。あるいは、手の抜き方が幾分上達したということか。

 

【タイムラプス】令和6年2月26日(月)7:02〜9:00の伊豆長岡の空。29秒。

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