いずぃなり

伊豆でのシニアライフ

花馬酔木白いぼんぼり房に垂れ(あ)

 今号の文芸誌を手にした。

 今号の文芸誌は来月号と併せた「直木賞発表」号。

 「直木賞発表」号は、毎回選評を楽しみにしている。

 その、選者がすごい。

 京極夏彦、浅田次郎、桐野夏生、高村薫、林真理子、三浦しおん、宮部みゆき、角田光代

 だもの。錚々たるメンバーです。これに前回まで伊集院静さん(昨秋11月24日に急逝された)が加わっていたんだから盤石もいいところ。ちなみに、京極夏彦さんは北方謙三さんと交替で前回から選者に加わっている。

 今回の第170回直木賞は、河崎秋子著『ともぐい』と万城目学著『八月の御所グラウンド』のダブル受賞。

 まずは『ともぐい』の選評。

京極夏彦……変容する時代の狭間で翻弄される阻害者(アウトサイダー)を視点人物として捉える。抜群に文章が巧い。視点人物の語彙は社会との関係性に於て増加していくのだが、限定的な語彙で綴られる自然描写は極めてリアルである。また著者は前近代/近代、自然/反自然を対立項として描くことをしない。それは個人の中で鬩ぎ合い侵食し合うものでしかなく、社会的な文脈の中で解釈されることはない。徹底している。また、使用される語句の多くに象徴的な意味を付帯させるという手法も堂に入っている。人になった”熊”は人にならなかった”熊”に喰われるという、一種神話的な帰結も見事なものであり、極めて完成度が高い。

浅田次郎……前作「締め殺しの樹」の欠点を完全に補って余りある作品であった。直木賞が本来新人賞である以上、こうした短期間における顕著な成長や才能の開花は最も着目すべき点である。具体的には、前作に比べて文章に無駄がなく、構成が均衡して苦労譚や謎解きに片寄らず、なおかつ主題が一貫していた。もっとも、この小説の主題の捉え方は人それぞれであろうが、私見では「天然の一部分として存在する人間」であった。よって主人公は人間性とは無縁であり、そのかわり熊や鹿と同じ獣性と、巌や大樹や雨風と神性を持っている。そう考えれば、俗世を厭う男も、俗世を捨てて男と生きようとする女も、またその男女の思いも寄らぬ結末も、悲劇というよりは自然の摂理として納得がゆく。

 お二人の選評を紹介したところで字数が尽きた。以降の選評はまた後日。

 今回は万城目学著『八月の御所グラウンド』を読みたくて手を伸ばしたが、どっこい、河崎秋子著『ともぐい』も、読んでみたらとてつもなくすごい。

 こういう人たちと同じ土俵で直木賞を争おうなんて所詮無理無謀。怪我する前にとっとと退散した方がいい。いち読者でいた方がよっぽど気が楽だ。

 

【きょうの一枚】庭のアシビ(馬酔木)。

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 これが咲き終われば、いよいよソメイヨシノの花宴になります。ぐふふ楽しみ楽しみ。 

 

【書】「襟」キン・えり(No.1,692)

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 衣と禁(キン。とじる意)とで、衣服をあわせる「えり」の意を表す。(『旺文社漢字典第二版』ディジタル版) 

 

【ディジタル画】『坊つちやん』その51(No.1,132)

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 前回は河合又五郎にご登場願ったが、今回は日本三大仇討の①曽我兄弟の仇討ち②赤穂事件③鍵屋の辻の決闘(河合又五郎)のうちの、②赤穂事件について扱うことにした。

 「赤穂事件」とは、「忠臣蔵」の名で今も人口に膾炙され、泉岳寺にある主君・浅野内匠頭の墓前で仇討ちを報告した後に浪士全員が切腹となった事件のことをいう。

 歌舞伎の演目「仮名手本忠臣蔵」を観せるために、全校生徒を貸切バスに乗せて国立劇場まで出かけたことが懐かしい。よくあんなことができたよなあ。それもこれも、当時の国立劇場に義兄が勤めていたからで。あの折は本当にお世話になりました。

 三年生を送り出すための会で「真似手本忠臣蔵」という脚本をものし、カツラを新聞紙で作って職員劇をしたっけ。若気の至りとはいえ、今思えばはっちゃかめっちゃかだったなあ。

 その縁で、というわけではないけれど、今回は「母者人、お疑いは晴れましたか?」の早野勘平を描いてみます。

 

【昭和の風景】『東海道中膝栗毛』(No.412)

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 明治の錦絵。

 やっぱ日本髪はいいね。絵になる。

 

【タイムラプス】令和6年2月24日(土)6:09〜8:38の伊豆長岡の空。36秒。

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