いずぃなり

伊豆でのシニアライフ

紫の躑躅ほんのり紅さして(あ)

【きょうの一枚】庭のモチツツジ(黐躑躅)

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 別名「花車」ともいう。見た目はさほど見栄えする躑躅ではないが、「花車」という別称が雅だ。
 手許の歳時記によると、『万葉集』柿本人麻呂の歌に「つつじ花 にほへ娘子 桜花 栄え娘子」と詠まれ古くから日本人に親しまれてきた、とある。
 そうか、今年も躑躅の咲く季節がきたんだな。
 まさに春爛漫の花咲き乱れる季節です。


【書】「 余炎」よえん(No.1,032)

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 「①もえ残りのほのお。②秋になっても残っている暑さ。残暑。」(『旺文社漢字典』第2版)
 「余」は、木で屋根を支えた建物の形にかたどり、ゆったりする家の意を表す。舎の原字。借りて、自称代名詞「われ」の意に用いる。
 「炎」は、火をかさねて、盛んにほのおを上げてもえる意を表す。転じて「ほのお」の意に用いる。


【ディジタル画】『三四郎』 34(No.472)

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 三四郎の学友・佐々木与次郎は広田先生宅に居候している。都会のしきたりによほど精通しているとみえて、田舎出の三四郎を何かと世話する。互いに気心の知れあった友と思っていたのだろう。持つべきものはよき学友ですな。
 学問も大事だけれど、こういう学生時代の腐れ縁がそれ以上に大事な気がする。三四郎と与次郎の心のふれあいがちょっぴり羨ましい。
 私は大学時代、サッカーに明け暮れた。そして大学4年生のときに体育連合会本部の幹事に呼ばれた。そのどちらも他と比較できないほどの濃い時間を共有できたことは今でも私の財産になっている。あの時あいつと知り合ったからこそ今の私があるとさえ思う。あの頃は毎日がとても充実していた。明日は来ないかも知れないとは思わなかった。夜が明ければ必ず朝が来ると信じていた。
 学問から得た知識は何も身につかなかった代わりに、金もないのに呑み歩く知恵だけは身についた。あの時もっと学問に励んでいればよかったと思わないではないが、それ以上に学問を飛び越えたところの人間付き合いが今の自分の血となり肉となっているように思う。
 夜遅くに訪ねてきた友に振る舞う酒がなくて居酒屋に急ぎ、そこから酒を分けてもらったこともあったなあ。そんな無茶を平気でやれた時代だった。
 その友はもうこの世にいない。還暦を迎える前にあっちへ逝っちまった。私もあとどれだけ生きられるか判らないが、もしあっちから迎えが来たら、そいつとまた雲の座布団にどっかと腰を据えて酒を酌み交わすだろうな。


【タイムラプス】4月13日(水)6:33〜8:40の伊豆長岡の空。31秒。

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【新型コロナ】4/13(水)10:00現在(Yahoo!より)
新規感染者数→49,773(前週同曜日比 +4,099)
重症者数→467(前日比 +2)
累計死亡者数→28,773(前日比 +47)