いずぃなり

伊豆でのシニアライフ

ストーブの燃え煮転がしの晩御飯(あ)

【きょうの一枚】おそらく今シーズン最後の薪。

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 去年剪定した庭木の枝を柿の木にもたれかけてあった。いずれ電気鋸で細かく切って捨てようと思っていたやつである。
 まさか、薪が足りなくなることを見込んでそうしたわけではない。が、結果的にそうなった。
 それはいいのだが、剪定した枝を薪の長さに切っている途中で、使っていた電気鋸の歯が根本から折れて使えなくなってしまった。バキンと折れて私の顔に飛んできたら事だったが、そうはならず、人間が静かにご臨終を迎えるように穏やかに逝ってくれたので助かった。
 この手の作業は一人でやるものではない。自分が気を失ってもそれを知らせる人がいない。
 テレビでは大雪の予報のたびに、屋根の雪下ろしは危険だから絶対一人ではやらないようにと注意喚起するけれど、ご老体ひとつしか残っていない雪山里ではそうも言っていられない。バリバリの若い働き手がいないのだから、老体に鞭打って一人でやるしかない。それが実情なのだ。
 行政に携わる方もそのことは十分に知っている。屋根に積もった雪を下ろす人がいなければ家が潰れる。家を潰したくなければ、危険と知っても雪下ろしをせざるを得ない。若者がいれば一肌脱いでもくれようが、その若者がいないのだから老いさらばえた生き残りがするしかない。それが限界集落の末路である。
 自然との共存と人は言う。人間が自然に溶け込んで生きていくことはなんと素晴らしいことかと知ったふうに言う。私は今でもそういう生き方に憧れを持っているが、頭で想像するのと実際に生活するのとでは雲泥の差がある。だから、大自然に囲まれて生活したいと夢想する人には、ひとこと言うことをしている。「悪いことは言わないやめとけ」。


【書】「老耆」ろうき(No.975)

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 「老人。耆は、六十歳の意。」(『旺文社漢字典』第2版)
 「老」は、髪を長く伸ばして腰のまがった人が杖をついているさまをかたどり、としよりの意。ひいて「おいる」意を表す。
 「耆」は、耂(老の省略形)と、音を表す旨(し。いたる意→至)とで、老人になる意を表す。


【ディジタル画】『吾輩は猫である』 94(No.417)

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 苦沙弥先生を訪ねた迷亭先生の口から無覚禅師の名が出る。
 無覚禅師とは、無覚祖元禅師のことで、北条時宗に請われて来日した禅宗の僧侶。鎌倉・円覚寺の開祖という。全集注解によると、漱石は、明治27年末から翌1月までこの円覚寺塔頭帰源院に止宿して、釈宗演について参禅している。
 今回は、字も画も「Gガッシュ」を使っている。 


【タイムラプス】2月15日(火)8:05〜9:41の伊豆長岡の空。23秒。

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【新型コロナ】2/15(火)10:00現在(Yahoo!より)
新規感染者数→60,142(前週同曜日比 −7,893)
重症者数→1,393(前日比 +27)
累計死亡者数→20,522(前日比 +148)