いずぃなり

伊豆でのシニアライフ

隧道を抜けてはるかの春の海(あ)

 きょうも図書館通い。『大人が絵本に涙する時』を書架から取り出してEvernoteに打ち写す。
 それで、きょう打ち写したところにゴーギャンの名が見えた。
 ゴーギャンは19世紀末、フランスからタヒチに渡った画家である。ふくよかな現地の女性美を油絵に描いた画家として知られるが、私はそれ以上のことは知らない。ただ、中学生の目で彼の描く女性を見たときに、そのずんぐりむっくりした体つきの、どこが美しいのかさっぱり判らなかったことだけは覚えている。今でもモナリザには美を感じるが、ゴーギャンの女性には美を感じない。たぶん、好みの問題なんだろうな。
 同郷の棟方志功は、「わだばゴッホになる」と言って故郷をあとにしたが、「わだばゴーギャンになる」とは言わなかった。棟方志功から見たゴッホとゴーギャンの違いは何か私には判らない。でも、これも結局、好みの問題なのだと思う。棟方志功にとって、ゴッホは魅力に富んでいたけれどもゴーギャンはそれほどでもなかった。まあ、それだけのことなんだろうと思う。


【きょうの一枚】内浦漁港の遠景。

f:id:jijiro:20220210103259j:image
 西浦の問屋までみかんを買いに行くときに必ず通る道。隧道を抜けて少し坂を下りたところから見た景色。手前の空き地は去年廃校になった小学校のグランド。
 現在使われている隧道の上に旧道の隧道がある。井上靖『しろばんば』では、この(旧道の)隧道を抜けて三津の叔母の家まで行ったとある。作品の主人公・洪作少年(井上靖)も、ここからこれと同じような景色を眼下に見たのではなかったか。


【書】「糸雨」しう(No.969)

f:id:jijiro:20220210103238j:image
 「糸のような細い雨。小雨。」(『旺文社漢字典』第2版)
 「糸」は、繭から引き出した繊維をより合わせた糸すじの形にかたどり、細い生糸(きいと)の意を表す。また、この糸(べき)を二本より合わせた、絲(し。いと)の省略形として用いる。
 「雨」は、一面に雲のたれこめた天から水滴の落ちるさまをかたどり、「あめ」の意を表す。


【ディジタル画】『吾輩は猫である』 89(No.411)

f:id:jijiro:20220210103222j:image
 苦沙弥先生の痘痕面をああでもないこうでもないと紹介した後で、おさんの容貌もちょっぴり紹介される。穴守稲荷の河豚提灯のような膨れっ面らしい。おさんが聞いたらさぞ怒るだろうからそれ以上は言わないと言いながら、河豚提灯のようだとしっかり言ってしまっている。一旦口にしてしまったらそれが言質となって辞めざるを得なくなった大臣のいかに多いことか。余計なことを言わないですましているのが、きょうび大臣を長く続けるコツである。
 輪郭も塗りも、「いつもの手書きペン2」で描いた。 


【タイムラプス】2月9日(水)7:55〜9:48の伊豆長岡の空。28秒。

https://www.facebook.com/100001436582002/posts/4928374240553747/?d=n


【新型コロナ】2/9(水)10:00現在(Yahoo!より)
新規感染者数→101,278(前週同曜日比 +19,629)
重症者数→1,141(前日比 −2)
累計死亡者数→19,616(前日比 +159)