いずぃなり

伊豆でのシニアライフ

枝拾ふ腰の脆さや春浅し(あ)

【きょうの一枚】薪(桜の老枝)。

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 家の筋向かいの空き地に、休業中ホテル従業員用の駐車スペースがある。今は手入れがされていないから草茫茫だけど、たっぷり3台は駐められる。そこにきょう、薪に手頃な枝が横たわっているのを見つけた。
 燃やす薪が尽きて、どこから調達しようかと頭を悩ませていたときだったので欣喜雀躍したのは言うまでもない。灯台下暗し、とはまさにこのこと。捨てる神あれば拾う神もいるってえことか。人生、まだまだ捨てたものではない。
 いやあ、窮地を救われました。助かった。これで孫どもにひもじい思いをさせなくて済みます。
 筋向かいの空き地には、現在2本の桜の老木がある。道に覆いかぶさるような桜のトンネルは見事だが、桜が散った後は始末に困る。覆いかぶさった枝葉が日照を遮り、大地に日差しを届けてくれない。昼なお暗い天下の嶮と化す。
 荒地に横たわっているのは、おそらく日差しを遮っていた小枝だろう。桜は樹皮が堅いわりに中が脆い。これはいい薪になると拾ってみたら、やけに軽く中がスカスカだったなんてことはザラ。今回のはほとんどがそういう枝ばかりだった。でも、燃えればいいんです。どんなのだって燃えれば立派な薪です。ありがたや、ありがたや。これであとひと月ほど寒気団が居座っても河童の屁、です。


【書】「君長」くんちょう(No.981)

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 「①君主と大臣。②天子。諸侯。③かしら。長。」(『旺文社漢字典』第2版)
 「君」は、口と尹(いん。「くん」は変化した音。人をおさめる意)とで、号令を出して人をおさめる者の意を表す。
 「長」は、髪の長い人が杖をつく形にかたどり、もと、髪の長い老人、長老の意を表す。ひいて、「おさ」の意、転じて「ながい」意に用いる。


【ディジタル画】『吾輩は猫である』 100(No.423)

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 苦沙弥先生には三姉妹がいて、上から、とん子、すん子、めん子という。ここの食事風景がとても賑やか。殊に当年とって3歳の坊ば(めん子)は「三歳然たる小形の箸と茶碗」が気に入らず、姉のそれを引ったくる。そこを読んで、昔遊んだ自転車の三角漕ぎを思い出した。
 三角漕ぎというのは、大人の乗る自転車のペダルに足が届かない子どもが、サドルを回避して自転車を漕ぐ方法。ハンドル、サドル、ペダルの三角点を結ぶ空間に片足を突っ込んで、向こう側のペダルとこちら側のペダルを漕ぐ。これで国道を走る路線バスに勝とうとかっ飛ばしていたんだから、まるでサーカスだ。
 どの家も貧乏で、自転車なんて買えなかった時代のお話です。それにしても、子どもってすごいね。大人が乗る自転車を子どもでも乗れるようにしちゃんだから。
 今回はすべて「Gガッシュ」で描いている。


【タイムラプス】2月21日(月)11:17〜14:13の伊豆長岡の空。22秒。

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【新型コロナ】2/21(月)10:00現在(Yahoo!より)
新規感染者数→71,488(前週同曜日比 −5,952)
重症者数→1,477(前日比 −3)
累計死亡者数→21,847(前日比 +158)