久々に雪国からの便りを見たくて「たて書きコラム」に目を通した。「冬夏言」。青森県弘前市に本社を置く陸奥新報のコラムである。このコラムは、「たて書きコラム」の中でも飛びきり短い。500字もない。肩肘張らなくて済むから読むのに時間がかからない。
きょうのコラム子は私とほぼ同年代に青春時代を送った方だろうか。喜多條忠作詞「神田川」について触れていた。いわく、「(若かったあの頃何も怖くなかった、のに)なぜ<ただあなたのやさしさが怖かった>のか」と問いかけ、いまだその答えを見いだせないでいる。
先日、コラムでそのことに触れたら、さまざまな反響があったそうだ。
コラム子も言うように、確かに歌詞も曲も切ない。しかしそれは、私にとって、あるいはコラム子にとってもそうかもしれないが、紛れもなく青春そのものだったのだ。横丁の風呂屋も三畳一間の下宿も、貨物列車が通ると揺れたガード下のアパートも、そこで安酒を煽りながら徹夜麻雀をした日々も、全てが青春だった。そう、何も怖いものはなかった。「あなたのやさしさ」以外は。
この歌詞によって、やさしさは時として罪になることを知った。そんな青春時代だった。
そして今、そんな遠い青春の思い出を懐かしみながら、細々と年の瀬を生きながらえている。
【きょうの一枚】薪割りの三点セット。
右から、ナタ、タガネ、ハンマー。
まず、節くれだった薪を立ててナタをあてがい、ナタの背をハンマーで思い切りたたく。それでナタが薪に食い込んで抜けなくなった時に、割れ目にたがねを差し込んで、これまたハンマーで思い切りたたく。
これで大概は真っ二つに割れてくれるのだが、中にはしぶといのがあって、うんともすんとも言わない薪もある。そういう時はバールを突っ込んでこじ開ける。それでもダメな場合は、いよいよ割るのを諦めて放り投げる。
こうなると、タガネのもっと大きいのが欲しくなるが、生活のすべてをギリギリの家計でやっている身なればそこまで手が回らない。流しのコンロだって、2口コンロに替えろと言われても買い替えられず我慢して使っているくらいなのだ。
【書】「伊鬱」いうつ(No.921)
「①心がふさぐさま。=鬱伊。②むし暑く苦しいさま。」(『旺文社漢字典』第2版)
「伊」は、人と尹(いん=「い」は変化した音。おさめる意)とで、治める人の意を表す。借りて、助字に用いる。
「鬱」は、木が盛んに茂って、その気が充満する意を表す。ひいて、ふさがる意に用いる。
【ディジタル画】『吾輩は猫である』 46(No.363)
金田家の御令嬢・富子の登場。気になる鼻の大きさだが、映画では富子役をうら若かりし頃の篠ひろ子さんが演じていたので、それに免じて夫人のような大きな鼻にしなかった。
今回もすべて「Gガッシュ」で描いている。
【タイムラプス】12月23日(木)6:56〜9:47の伊豆長岡の空。21秒。
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【新型コロナ】12/23(木)10:00現在(Yahoo!より)
新規感染者数→262(前週同曜日比 +88)
重症者数→26(前日比 −2)
累計死亡者数→18,383(前日比 +2)