いずぃなり

伊豆でのシニアライフ

みかん箱寝しなにそつと手を伸べて(あ)

 箱のみかんが残り少なくなったので、二箱目を買いに、前回買った西浦みかん問屋にカブを走らせた。
 すると、前回と同じ一箱(5kg)の小粒みかんが600円で売られていた。前回の800円より200円も安い。それにサイズもSSというよりは、それより一回り大きめのSサイズと見えた。
 みかんは大きさに関係なく、一箱5kgで売られる。大きめのサイズは、これから2ヶ月ほど倉庫に寝かされ、2月に入ったあたりでブランド品「寿太郎」として出回る。「寿太郎」は甘いが、かなり値が張る。それだけ手間暇かけるから仕方ないが、今出回っている早生(わせ)だって、どうしてどうして「寿太郎」に負けないくらい甘い。私はどちらかといったら早生の方が好きだ。第一、甘いし安い。
 距離的には、最寄りのスーパーより3倍も4倍も遠いが、とにかく値段が安いというのが魅力で、高値が続くガソリンをぶんぶんふかしながら西浦までカブを走らせる。
 伊豆の国市から沼津・内浦湾へ抜けるトンネルを潜った先のカーブから見る景色が好き。山また山に挟まれた道がトンネルを抜けるといきなり開け、内浦湾の青い海が小さく見える。今のトンネルの上にはいまだに旧道のトンネルが壊されず残っていて、『しろばんば』を書いた井上靖はその旧トンネルを通り抜けている。そして、その抜けた先の景色を絶賛している。
 川端康成は天城トンネルを抜けた九十九折の下田街道に踊子の姿を描いたが、もし川端康成がこのトンネルを通っていたら、話はまるで違った展開になったかもしれない。このトンネルを通るとき、いつもそう思う。
 ちなみに、このトンネル道を降り切って海の彼方に大きな富士山を見る浜辺道には、太宰治が1ヶ月投宿して『斜陽』を書いたという安田屋旅館がある。


【きょうの一枚】西浦みかん(二箱目)

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 前回買ったのより一回り大きい気がするのは、気のせいか。
 倉庫に積まれたみかん箱の前でそろばんを弾いていたおじさんは最初間違えて800円と言ったが、すぐに600円と訂正した。こういうところが、なんか人間臭くていいですね。


【書】「兄事」けいじ(No.891)

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 「相手を兄のように尊敬して仕える。」(『旺文社漢字典』第2版)
 「兄」は、口と人(儿)とを組み合わせた形。口は口(さい)で、神への祈りの文である祝詞を入れる器の形。兄はこの口を頭上に載せている人を横から見た形で、神を祭る人をいう。兄弟のうちで家の祭りごとを担当したのが長男であったので、兄は「あに」の意味となる。
 「事」は、史と吹き流しとを組み合わせた形。口(神への祈りの文である祝詞を入れる器の形)をつけた木を右手に高く捧げ、祖先の霊を祭ることを史といい、大きな木の枝に口をつけて地方に出て山川を祭ることを使という。その大きな木の枝にさらに吹き流しをつけて山や河で国家的な祭祀(さいし=祭り)をすることを事といい、「まつり」の意味となる。


【ディジタル画】『吾輩は猫である』 36(No.333)

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 苦沙味先生宅を訪れた越智東風氏が、ご主人が書斎に立った留守にカステラを摘んで一口に頬張るシーン。
 それで、書生とカステラとを組み合わせた画を描こうとネットに当たっていたら、「江戸時代はカステラに大根おろしを載せて食っていた」という話に行きあたった。が、『吾輩は猫である』のこのシーンには大根おろしは登場しない。ということは、漱石の時代、カステラ&大根おろしという組み合わせは、一般家庭にまでは普及していなかったのかもしれない。 


【タイムラプス】11月23日(火)8:14〜10:26の伊豆長岡の空。32秒。

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【新型コロナ】11/23(火)10:00現在(Yahoo!より)
新規感染者数→49(前週同曜日比 −29)
重症者数→63(前日比 +1)
累計死亡者数→18,348(前日比 +2)