いずぃなり

伊豆でのシニアライフ

紅葉且つ散りて深山の古刹かな(あ)

【きょうの一枚】生垣のドウダンツツジ(灯台躑躅)。

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 だいぶ色づいてきました。1箇所だけメッシュが入ったように真紅です。
 これが師走になると、全体が真っ赤に染まります。それはそれは見事です。
 背後に枝垂れているのは枝垂れ紅葉(手向山)。
   このたびは幣もとりあへず手向山紅葉の錦神のまにまに(菅原道真)
の、「手向山」ですね。
 この木は庭に二本あった。そのうちの奥にあった一本を物置小屋を作るときに伐り倒した。ので、今は手向山は庭にこの一本しかない。しかし、それもいずれカミさんが車を伊豆へ持ってくるとなれば、灯台躑躅ともども伐り倒される運命にある。おそらくここが2台目の駐車スペースになるだろうから。
 となれば、赤く色づく手向山と灯台躑躅を愛でるのも今のうちだな。


【書】「句法」くほう(No.890)

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 「詩文の句の組み立て方。句格。」(『旺文社漢字典』第2版)
 「句」は、勹(ほう)と口とを組み合わせた形。勹は体を曲げている人を横から見た形で、身を曲げている死者の形。それに神への祈りの文である祝詞を入れる器の口(さい)をそえて、死者を埋葬する意味を示し、局と同じくもと屈肢葬をいう語であろうと思われる。文章のきれめに曲がった形の点(ヽ)を印として付けたので、文章中のひと区切りのことばを句という。
 「法」のもとの字は灋(ほう)。法はその省略形。氵(水)と〓(ち=薦の艹を取り除いた形=しかに似た珍獣)と去(しりぞける意)とで、水で囲んで〓が出られないようにする意、ひいて、行き過ぎをおさえるおきての意を表す。


【ディジタル画】『吾輩は猫である』 35(No.332)

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 二絃琴の御師匠さんの年齢が判った。62歳だって。当時としては長生きの部類か。
 ところで、漱石が亡くなったのは数えの50歳。私はそれより18歳も長生きしてしまった。が、その割には世に何も残していない。人は人、まあそれぞれの人生だから終わりの歳を比べても仕方がないのだけれど、そうは言っても、齢18の差は小さくない。18と言えば、生まれてから高校を卒業するまでの齢の数ですからね。その間にできることといったら計り知れないものがある。やはり何かしらの焦りは感じますね。  


【タイムラプス】11月22日(月)8:12〜9:31の伊豆長岡の空。39秒。

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【新型コロナ】11/22(月)10:00現在(Yahoo!より)
新規感染者数→143(前週同曜日比 +10)
重症者数→62(前日比 ±0)
累計死亡者数→18,346(前日比 ±0)