いずぃなり

伊豆でのシニアライフ

花木槿けふ一日を咲き誇る(あ)

【きょうの一枚】庭のムクゲ(木槿)の花。

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 うちの木槿は赤紫の花を咲かせる。きょうは枝のてっぺんを中心に、30個ほど咲いている。写真はそのうちの一つをアップした一枚。花は、八重ですかね、半八重ですかね。
 木槿は一日花で、落ちたと思ったらもう次の日には新しい花が咲いているというふうに、暑い夏の間ずっと咲き続けてくれるから、目の保養になります。


【書】「解顔」かいがん・かお(かほ)をとく(No.758)

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 「表情をやわらげる。相合をくずして笑い喜ぶ。=開顔」(『旺文社漢字典』第2版)
 「顔」の甲骨文の例字が見当たらなかったので、二字とも金文に統一して書いた。
 金文だと、甲骨文に比べて線が少し柔らかめになる。


【ディジタル画】放牧された馬(No.202)

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 大学5年目の夏、北海道の牧場でアルバイトをしたことがある。先に大学を卒業し、北海道の神社に職を得た学友の声かけで競走馬の世話をすることになった。そこの神社の御神体は馬で、実際に牧場も持っていた。
 牧場の馬房に隣接された従業員の部屋で寝泊まりし、やがて競走馬になるだろう2歳馬を放牧したり、糞尿で汚れた馬房を掃除したり、なんてことを40日間やっていた。ちょうどハイセイコー、タケホープといったスーパースターが現役を引退して種牡馬に転じたあたりである。
 作業はきつかったけど、毎日が楽しかった。おとなしめの馬に乗せてもらい、1周1,000mの馬場(ダート)を走ったり、競走馬の競り市に連れて行ってもらったり、ロール状に巻いた牧草をサイロに運んだり、新しく牧場を広げるための柵(枕木)を立てて回ったりした。
 そんなある日、こんなことがあった。
 生まれたばかりの仔馬は母馬にいつもべったりくっついて離れないものだが、強い競走馬に育てるために、いずれ仔馬と母馬を別々に分けなければいけないときがやってくる。牧場にはその対象となる母仔馬がいた。牧場主と従業員は作戦を立てて母馬と仔馬を分ける段取りを決め、私は仔馬の誘導を担当することになった。
 放牧から帰った母子馬をいつもと同じ馬房に誘導すると見せかけて、呼吸を合わせて向かい同士の馬房に別々に入れるのだが、何たることか、私がそのタイミングを外してしまった。母馬はおとなしく馬房に収まったが、仔馬はそうはいかなかった。
 仔馬は私の手から手綱を振り払い、中央通路を右に左に荒れ狂う。まさか母と引き離されることになるとは思ってもいなかっただろうから無理もない。
 仔馬は暴れ回って手に負えない。馬は危険を察すると後ろ足で蹴りをくらわして攻撃してくる。馬の後ろ蹴りは仔馬とて馬鹿にできない。仔馬の蹴り出した後ろ足がちょうど鳩尾に入り、亡くなった人がいるという話を聞いた日にゃ、怖くて近づけない。
 なすすべもなくただ通路の板壁を背にして突っ立って私に、きた。その後ろ蹴りが襲いかかってきた。蹴り上げたひずめはちょうど鳩尾(みぞおち)の高さだろうか。仔馬が蹴り上げると、ひずめはちょうどそれくらいの高さになる。一撃は間一髪で私の鳩尾をかすった。かすって、背後の板壁をバキッと割った。
 青ざめる私に、その場に居合わせた牧場主は言った。「大事な競走馬に傷でもついたらどうするんだ」。
 私はその言葉に耳を疑った。俺が犠牲になればよかったのかよ。
 この世界は、たかがアルバイト生の命より競走馬の傷を真っ先に気に掛ける世界なんだ。競走馬の方が大事で、人間なんて二の次三の次なんだ。そんな世界もあるんだと、それまで思っていた常識が通用しないことを知った。
 馬を描いていたら、その昔、北海道で馬の世話をしたことを急に思い出した。今思えば、あれはいい経験だったな。
 大学を卒業するまで結局7年かかったけど、余分の+3年間は決して無駄ではなかったと今では思える。そういうわがままを黙って見守ってくれた父母にひたすら感謝だね。


【タイムラプス】7月13日(火)5:31〜7:32の伊豆長岡の空。30秒。

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【新型コロナ】7/13(火)10:00現在(Yahoo!より)
新規感染者数→1,506(前週同曜日比 +477)
重症者数→432(前日比 +7)
累計死亡者数→14,959(前日比 +3)