いずぃなり

伊豆でのシニアライフ

公園に孫帰京の日あやめ草(あ)

昨日の夕方、 孫たちはママの迎えの車に乗って小田原へ帰っていった。滞在はこれまで最多の11日。ふ〜、長かった。

その間、ブログは2日遅れのアップになった。誰に頼まれたわけでもないのだから、一日休んだところでどうということもないのに、孫の世話で書く時間を取られても、こうして書きつないでいる。

なんでそこまでしてブログを書くのか。要するに、2013年4月1日から毎日欠かさず書き続けてきたブログに穴をあけることが耐えられないだけのことなのだ。今更やめるわけにはいかないという、自分なりの意地とでも言いましょうか、こだわりと言いましょうか、そんなところです。

くだらない、と言えばくだらない。そんなことに片意地張ったところで何の足しにもならないことは重々承知している。

しかし、そう承知する一方で、足しになるかどうかはやってみなければ判らないという思いもある。これをやればあれができないという限りある時間の中で、やっていて楽しいと思う時間があるのは重要な要素だと思う。

たぶん、私にとってブログを書くのは楽しいのである。書いてアップするからには判らないことを判らないままにしておけない。調べる。調べるとさらに判らないことが出てくる。するとまた調べる。調べて判ると嬉しくなって人に知らせたくなる。人がなるほどと思ってくれると嬉しくなる。嬉しくなるからまた書く。

そういう具合に、書き続けることで楽しさがどんどん増殖していくのである。

人は誰かのためになっていることを意識することで幸せを感じるという。それが自分のためでもあればなおいい。ウィンウィンだな。

画面の向こうにいる私の知り合いが、私のブログを読んでほっこりしてくれるのであれば、それは私にとってこの上ない幸せだ。

また、タイムラプスは、みんなと雄大な富士山を共有したいがために定点カメラを富士山に向けている。富士山が見えた朝はとても清々しく感じるし、見えないときは寂しい。みんな同じ思いで動画を見てくれているのかなと想像すると、それだけで何か楽しくなってくる。

「絵日記」は描画の独学の励みに載せている。誰かに見られていると思うと頑張れる。そして、毎回のことだけど、どうして私はこの人を選んだんだろうと思うことで、私がこれまで歩いてきた道道ですれ違った人を偲び、当時の思い出と向き合える。コメントをあえて手書きにするのは、手書き文字が隠しようのない私を示しているように思えるからに他ならない。

これで生活リズムをなんとか孫の面倒を見る前の段階に戻すことができた。問題は、学校がいつ再開するかだが、少なくとも5/6(水)までは臨時休校が決まっているので、それまではバンバン絵を描いてみんなの批評を仰ぎたいと思っている。

 

【今日の一枚】ブランコ公園のジャーマンアイリス。

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正式には地区の名を冠した「小公園」だが、孫たちはブランコ公園と呼ぶ。そこの藤棚の脇にアイリスの花が咲いていた。車の通る道を挟んだ向こう側にもアイリスが植えられ、両方とも自治会の「地域づくり」の方々が手入れをしてくれている。

 

【絵日記】武満徹(No.128)

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12日ぶり。孫がママの迎えで小田原に帰り、絵を描く時間が戻った。

「ソフト鉛筆」ツールの白黒だけで描いた。白黒の人物画もいいものですね。約2時間。

 

【温泉】一二三荘。

 

【タイムラプス】4月20日(月)5:55〜9:10の韮山方面の雨空。21秒。

https://www.facebook.com/aisakajiro/videos/10222664868472560/?d=n