いずぃなり

伊豆でのシニアライフ

悪戯の孫の破顔やお年玉(あ)

箱根駅伝復路のトップが平塚中継所を過ぎたところで、孫たちはママの車で小田原に帰っていった。カミさんは昼にカレーライスを温め、炊いたご飯の残りをタッパーに詰め、冷凍庫に入れておくように言い残して帰っていった。

ようやく怒涛の年末年始が終わった。孫が散らかした道具を片付けたり布団を干したりしながら、孫と過ごした一週間をしみじみ振り返る。ああ、過ぎてしまえばあっという間の一週間だったな。

私は今、孫娘が昨日「あたし、伊豆に来ると絵を描きたくなっちゃうんだ」と言ったことを思い返している。私がいつも座る椅子に座って毎日絵を描いていた孫娘は、クルクル回る椅子に座ると絵心にスイッチが入るらしい。そして、私はそのことを羨ましく思うのだ。

ただただ絵を描いていたい。そういう気持ちに私もなりたい。どういうふうにすればそんな気持ちになれるのだろう。孫娘は親に褒められたいと思って描くのではなく、何かのコンクールに入賞したいと思って描くのでもなく、ただ楽しいから描いている。その純粋さが羨ましい。

子どものうちはそれで飯を食うことを考えなくて済むから純粋になれるのだろう。しかし、いい年をした大人はそうはいかない。それ一本で食っていけるだけの力量を身につけなければいけない。金になる絵を描かなければいけない。

はっきり言って、私には金になる絵なんて到底描けない。そんな力量なんてない。では、趣味? そうね、趣味だね。趣味ということでいいんじゃないの? そりゃ、酒代くらい稼げればいいと思ったときもあったけれど、そんなの無理だと今になって判った。世の中そんなに甘くない。

趣味で描くんだったら好きなときに描けばいいから気楽でいい。それで稼ごうなんてさもしい気持ちにもならない。

こう書いてきて、孫娘の純粋さを羨ましく思うのは、あわよくば小遣いを稼ごうという気持ちがあるからだと気づいた。要はその気持ちを捨てればいいいだけのことだった。さすれば子どもの持つ純粋な気持ちに近づけよう。

こんな具合で、私はいつの間にかブログを書きながら考える癖がついた。最初から書くべき結論があって書き始めるわけではなく、いわば、書いていく過程で自分の心を確かめるというスタイル。だから、ときに思いがけない方向へ話が向かっていくこともあるが、それはそれでまた楽しかったりする。こうして毎日ブログを書き続けられる秘訣は、楽しみながら書くというあたりにあるのかもしれない。

 

【今日の一枚】手作りゴルフクラブと百均スマートボール。

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穴には素焼きの植木鉢を埋め込んである。孫娘が作った。カップインの穴はすでに芝の生えているところに掘ってあるのに、なんでまた穴を掘るんだと訊いたら、こっちのはトイレだと言う。ふ〜ん。どこからそういう発想が生まれるんだろう。それにしても、君、ゴルフクラブが左利き用だよ。

 

【書】「無」ム・ブ・ない・なし・まう(No.347)

▼甲骨文

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▼金文

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仮借。もと象形の字で、舞う人の形。舞のもとの字である。衣の袖(そで)に飾りをつけ、袖をひるがえして舞う人の姿である。甲骨文では無雩(ぶう)という雨乞いの祭りの字に使用する。有無の「ない、なし」の意味に用いるのは、その音を借りる仮借(かしゃ)の用法である。無がもっぱら「ない、なし」の意味に用いられるようになって、無に舛(せん=左右の足が外に向かって開く形で、舞うときの足の形)を組み合わせた舞が「まう、まい」の意味に使われる。<『常用字解』より>

 

【タイムラプス】1月3日(金)10:08〜11:50の伊豆長岡の空。25秒。

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