いずぃなり

伊豆でのシニアライフ

葛の花無言の母子踏みしだく

あやめ湯(17:25)5→2人。

6,429歩。

写真は、修善寺の勤務先の通学路に咲く葛の花。午前の勤めを終えて校門の坂を下ったら擁壁に垂れ下がっていた。

私が葛の花の写真を撮っていたら坂の下から男子生徒が、その後を10mほど離れて保護者らしい女性が上ってきた。男子生徒がうつむき加減にこんにちはと私に声をかけ、女性がそれに続く。私もそれぞれにこんにちはと返す。担任の先生にでも呼ばれたのだろうか、二人の足取りはやや重い感じがした。

それにしても二人に生じたこの間隔、これが男子高校生と母親との距離間なんですね。私もそうだった。今思えば高校生の頃、私は母親の苦労も知らずにずいぶん理不尽なことを言ったりもした。

あるとき、毎日の弁当のおかずに文句を言ったことがある。ウインナーを入れろ卵巻き(田舎では卵焼きのことをそう呼んでいた)を入れろ、沢庵は入れるな骨のある魚は入れるなと、弁当を作ってくれるだけでありがたいのに勝手なことばかり言って母を困らせた。わいは、どへばえがべ(あれまあ、どうしたらいいのでしょう)と困惑した表情を見せた母の顔を今でも忘れない。

母は誰にでも優しい人だった。怒ったところを一度も見たことがなかった。私には母親に叱られたという記憶がない。

私は高校生の何年生のときだったか忘れたが、母を学校に呼び出されたことがある。呼び出された理由は遅刻が多すぎるということだった。担任の前に二人並ばされ説教を食らった。母は担任にひたすら謝っていたが、私は何でこんなことで母が呼び出されなければいけないのだと思っていた。それが顔に出ていたのだろう、反省の色がないと担任の怒りを買ったりもした。

学校の帰り道を私は母と二人で帰ったはずだが、その記憶がない。もしかしたら一緒に帰らずそのまま部活に出たのかもしれない。もし二人で帰ったとしても、最寄りのバス停までは私が前を歩き、後から母が続くという、今日見た母子のように無言のまま間隔を保って歩いていたのだと思う。

家に帰っても、学校に呼び出されたことについて母は一言も言わなかった。何事もなかったように晩ご飯を食べさせてくれ、布団を敷いてくれた。私にはそれがとてもありがたかった。(あ)

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