いずぃなり

伊豆でのシニアライフ

亡き母の津軽訛りやアヤメ咲く

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写真は、庭に咲いたアヤメ。この土日で咲いたのだろうか。先週、藤沢に戻るときは咲いていなかった。よその家の庭に咲くアヤメは丈も1m近くあって立派なのだが、うちのアヤメはその半分もなく何とも弱々しい。これも庭木の陰になって陽が十分に当たらないせい。

去年、同じところに咲いたかどうか記憶にない。でも、一昨年に咲いていたのは覚えている。姉が長女と一緒に伊豆を訪ねてくれたときは確かに咲いていた。これ、母さんが好ぎだった花コだよ、と姉がそのとき教えてくれたのだった。

亡き母がアヤメを好きだったとは知らなかった。私の記憶の中で母に結びつく花はグラジオラスである。母が畑仕事に精を出している隅に、当時小学生だった私と同じくらいの背丈のグラジオラスがすっくと咲き並んでいた。そして、そのグラジオラスは墓前の花ともなり先祖の供養に使われた。だから、母はグラジオラスが好きなんだなと漠然と思っていた。

私はグラジオラスという花の名を母から教わった。母は、この花はグラジオラスと言うんだよという言い方はしなかった。何か独り言をつぶやくような、花に話しかけるような、そんな言い方だった。私は母の津軽訛りの言葉を自然に耳に流しただけだった。 

私はグラジオラスは好きでも嫌いでもない。ヒマワリ、チューリップ、アサガオが好きでも嫌いでもないのと同じように。だいたい小さい頃から花には興味がなかった。だから今でも花の名前をほとんど知らない。それで今になって一句ひねるのに苦労しているわけだが…。

先週の花屋はどこもカーネーションで溢れていた。母の日にカーネーションを贈る習慣はアメリカから伝わったらしいが、私は生前母にカーネーションを贈ったことがない。高校を卒業してからずっと離れて暮らしていたということもあるが、そもそも花を贈るという発想が私にはなかった。

しかし今日、庭に咲く2本のアヤメを見て姉の言葉を思い出し、母を思い出した。これ、母さんが好きだった花コだよ…。そうだったんだ、母はアヤメが好きだったんだ。母の日には間に合わなかったけれど、母さんの好きだったアヤメが咲きました。花なんてこれまで贈ったことないけれど、カーネーションの代わりにこれを母さんに贈ります。徒歩7,103歩。(あ)