いずぃなり

伊豆でのシニアライフ

梅の実をねこばばするか巨漢猫

5月3日のブログを読んでくれた方がflashのことでコメントをくれた。それで、いつかflashでアニメ作品を作りたいと思っていたそのいつかが、少しばかり具体性をもって見えてきたような気がした。久しぶりにflashをいじってみようかなと思った。

作品の構想は、今日の散歩の途中でひらめいた。ひらめいただけだから具体的なことは何一つ整理されていないけれど、例えばこんな具合という程度ならメモしておける。

元々、せっかくアニメ作品を作るなら古典文学から題材を拾ってこようと思ってはいた。しかし、それには相応の資料収集、時代考証、有職故実などなど、一人ではとても手に負えない膨大な時間が必要だということがだんだん見えてきた。見えてくるにつけ、あまりに無謀なことを考えたものよと二の足を踏むようになった。創作意欲も萎みがちになった。

それで、今日ひらめいたのはこうだ。青森県の昔話を方言丸出しで語り、その意味を字幕で流し影絵を動かしたらどうか、それにBGMとして津軽三味線を乗せたら雰囲気が出るのではないか。これなら私の拙いflashの知識でできる。私一人でできる。うっ、何かできそうになってきたぞ。今夏デビュー目指して準備に取りかかるか。

徒歩6,893歩。

写真は、長岡南浴場手前の駐車場脇でストレッチをしている猫。プロパンガスのお宅の飼い猫で、もう一匹いるのだがこのときは姿を見せなかった。この猫、家の中に入れてもらえないとみえて食事も玄関の外で摂る。食事どきは大抵私が湯へ行く時間と重なるが、あるとき、玄関のガラス戸を前足で叩いて食事を催促していたことがあった。玄関先に犬小屋ならぬ猫小屋らしきものはなかったから夜は家の中に入れてもらえているのだろう。あるいは食事のときだけどこからともなくやって来るノラちゃんなのだろうか。

そういえば我が草茫々の庭にやって来る猫、餌を与えないのにどこからともなくやって来て梅の木の下に糞を垂れていく。私は猫を飼ったことがないからよく分からないが、猫は糞をする場所を決めているらしい。うちに来る猫はいつも必ず梅の木の下なのである。これまで一度も見たことのない猫だが、先週ようやくその姿を、ほんの一瞬だったけれど見かけた。和室でコーヒーを飲みながら本を読んでいて、ふと本から目を離したら、まるまると肥えた真っ黒な猫が悠然と庭を横切るところだった。ここで会ったが百年目、すかさず立って玄関のドアを勢いよく開けたら、既にそのときは妖しの影は消えていた。こちらの気を感知したのか。図体に似合わぬ素早さである。面構えまでは確認できなかったが、きっとふてぶてしい面だったに違いない。勝手に糞をするでないと一喝しようとしたが敵わなかった。(あ)

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