いずぃなり

伊豆でのシニアライフ

3年目のブログ

昨日は伊豆の国市の10周年記念日だったが、同時にこのブログがめでたく3年目を迎える記念すべき日でもあった。記念なんて大げさのようだけれど、身のまわりに起こった出来事や巡り会った人々を思い起こし、心を新たにするという点で言えば、決して大げさではない。この4月1日という日は私にとって大切な、サラダ記念日ならぬブログ記念日なのである。3日後の誕生日よりも遥かに大切な日なのである。

ブログを始めたそもそものきっかけは、まず第一に、生きた証を何かしらの形で残しておきたいと思ったことである。そう思うようになったのは、あの東日本大震災の影響が大きい。これまで培ってきた全てが一瞬にして消え去る現実を突きつけられ、あのときからずっと、さてお前ならどうする、何を残すと問われているような気がして、せめて私なりに、この世に生きた証を刻んでおこうと思った。変わらない日々の暮らしができることのありがたさを、そして変わらないようでいて変わっている微かなことを、私なりの目線で写し取っておこうと思った。そのときに見たこと、聞いたこと、思ったこと、やったこと、それが私だから。

第二として、あるまとまった文章を毎日書き続けることで、それが自分の文章修業になるのではないかと考えた。ところが、こればかりは才能の乏しさを露呈させるばかりで、一向に上達の気配がない。名のある随筆家の文章を読むにつけ、うまいなあさすがだなあと感心しきりなのに、それがまるで身につかない。思うにこれは文章からにじみ出る教養の差なんだな。でも、だからといって書くのは止めませんよ。書くことは私にとって、生きたくても生きられなかった人への「祈り」でもあるのですから。

長岡南浴場(17:00)1→2人。徒歩2,308歩。

写真は、家の前の桜。桜の奥が我がぼろ家。枝振りがみすぼらしいが一応満開。日中、窓を開けて風を入れると花びらがひらひらと舞い込んでくる。秋はこいつの落とした枯れ葉が車庫に吹き溜まり、薪ストーブの焚き付けに使われたり腐葉土になったりする。こういう暮らしがしたかったという暮らしを日々楽しんでいます。文机の目を休ませて花の満つ(あ)

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