いずぃなり

伊豆でのシニアライフ

搗き立ての餅頬張れる軒の下(あ)

#いずぃなり2025_12

 搗き立ての餅を食う。なんて贅沢なんだろう。餅搗きの特権だ。

 呼ばれて餅を搗きに出かけていたが、義父が亡くなり義母が東京の施設の世話になってからというもの、餅つきのイベントは久しく絶えていた。同時に搗き立ての餅も食えなくなっていた。

 合いの手を入れる人の胸算用で千切る大きさが異なる餅。さっきより小さくても誰も文句を言わない。もらえるだけで嬉しい。今年は何かいいことがありそうな予感がする。それが御利益というものだ。

 

【書】『徒然草』第二百十一段
模写(刊・正保2年)

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訳(吾妻利秋)

何事も期待してはならない。愚か者は他力本願だから、恨んだり怒ったりするのだ。権力者だからと言って、頼ってはならない。血の気が多い人が、最初に没落するのだ。金持ちだからと言って、お願いしてはならない。時間が経てば貧乏になる。才能があるからと言って、期待してはならない。孔子だって、生まれた時代が悪かった。人格者だからと言って、あてにしてはならない。顔回も、不遇の人生だった。君主に可愛がられても、安心してはならない。怒らせれば、その場で闇に葬られるから。家来がいても、安堵してはならない。裏切って逃げることがよくある。人の優しさを、真に受けてはならない。必ず心変わりする。約束も、信じてはならない。守られることは希である。自分にも他人にも期待しないことだ。ラッキーな時は、ただ喜び、失敗しても、人を恨まずに済む。心を左右に広く持てば動じず、前後に奥行きを持てば行き詰まることもない。狭い心は衝突ばかりして、傷つきやすい。少ない気配りしか出来ない人は、何事にも反抗的で、争って自爆する。穏やかな心でいれば、身の毛、一本も損なわない。人間は現世を彷徨う妖精だ。世界はブラックホールのように留まることを知らない。人の心も、また同じである。穏やかな気持ちを解放していれば、一喜一憂することなく、人に苦しめられることもないのだ。


【昭和の風景】
津軽弁

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「ほんつけねどごで つであさがえねんず。」(馬鹿だから 連れてあるけないんです。)の意。


【タイムラプス】令和7年12月17日(水)10:55〜15:47伊豆長岡の空。35秒。